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「Want toは100%でなければならない」「have to は1%も入っていてはならない」
苫米地英人(とまべちひでと)博士のコーチング理論についての著作を読むと、この言葉を何度も目にします。しかし、「100%Want toで生きる」とは、実際にはどういう状態なのでしょうか。
「100%Want toで生きる」のが難しく、どうしても自分の行動に「have to」が入り込んでしまうと感じていた私はある日、「100%自分で乗り物を運転することだ」という一つの比喩が浮かびました。
Want to 100%とは、「交通ルールを守りながら、自分自身で人生という車を運転し、自分が本当に行きたい目的地(ゴール)へ向かうこと」なのではないか。
このように考えると、「Want to」と「自由」の意味が、とてもわかりやすくなります。
あなたの人生の運転席には、誰が座っていますか?
想像してみてください。あなたは一台の車に乗っています。その車は、あなたの人生そのものです。では、その運転席には誰が座っているでしょうか。
親でしょうか。友達でしょうか。学校でしょうか。会社でしょうか。それとも、世間体やSNSの評価、お金への不安でしょうか。
もちろん、現実には誰かが直接ハンドルを握っているわけではありません。しかし、私たちは知らないうちに、自分の人生の意思決定を、他人の期待や社会の常識に委ねてしまうことがあります。
「みんながそうしているから。」「これをやらなければ認めてもらえないから。」
「失敗したら恥ずかしいから。」「怒られないためには、こうするしかないから。」
こうした理由だけで人生の進路を決めているとしたら、人生という車のハンドルを、親や教師など、自分以外の誰かに握らせている状態だと言えるでしょう。目的地さえ、自分で決めたものではないかもしれません。Want to 100%とは、まず、この運転席を自分自身に取り戻すことかもしれないのです。

自由とは、交通ルールを無視することではない
ここで、とても重要なことがあります。
「Want toで生きる」と聞くと、「自分の好きなことをするのだから、何をしてもいい」「社会のルールなど気にしなくていい」と考えてしまう人がいるかもしれません。
しかし、自動車の運転を考えてみれば、それが違うことがわかります。自分が行きたい場所へ自由に向かいたいからこそ、信号を守ります。制限速度を守ります。一時停止をします。歩行者に注意します。他の車との距離を保ちます。
なぜでしょうか。交通ルールがあるからこそ、道路を走る一人ひとりが、自分の目的地へ向かうことができるからです。もし誰も交通ルールを守らなければ、道路は自由になるどころか、非常に危険な場所になります。
つまり、自由とルールは必ずしも対立するものではありません。
むしろ、社会の中でお互いの自由を尊重しながら生きるためには、一定の共通ルールが必要です。
人生においても同じです。法律や倫理、他者への配慮、社会との約束などを守りながら、その範囲の中で自分の望む方向へ進んでいく。それが、成熟したWant toなのではないでしょうか。
Want to 100%とは、ルールを無視して好き勝手に生きることではありません。社会との調和を保ちながら、自分の人生のハンドルを100%自分で握ることなのです。
ゴールがなければ、どんな高性能な車でも迷子になる
どれほど高性能な自動車を持っていたとしても、目的地が決まっていなければ、どこへ向かえばいいのかわかりません。
エンジンがどれほど強力でも、最高速度がどれほど速くても、道路を走る技術がどれほど優れていても、目的地がなければ、ただ走り続けるだけです。
人生も同じです。能力が高いことだけでは、人生の方向は決まりません。知識が豊富であることだけでも、人生の目的地は決まりません。
まず必要なのは、「自分はどこへ行きたいのか」という問いです。これがゴールです。
ゴールが決まると、初めて「何をするべきか」が見えてきます。自動車で言えば、目的地をカーナビに入力するようなものです。
目的地が決まれば、現在地との距離がわかり、進むべき方向がわかり、途中で必要になる道路や情報にも注意が向くようになります。
人間の脳についても、目的に関連する情報を選択的に捉えやすくなる仕組みがあります。苫米地博士のコーチング理論でよく語られるRAS(網様体賦活系)という概念も、この「ゴールを設定することで、必要な情報が見えやすくなる」という説明と関連づけて考えることができます。だからこそ、ゴールは人生におけるナビゲーションなのです。
車はあなた自身ではない
さらに、自動車の比喩を深く考えてみると、もう一つ重要なことが見えてきます。それは、「車」と「運転手」は別だということです。
人生における車とは、身体であり、脳であり、感情であり、知識であり、経験であり、技術です。現代では、お金やAI、さまざまなテクノロジーも、人生を目的地へ運ぶための重要なリソースになっています。
しかし、車はどれほど高性能でも、自分で「どこへ行きたいのか」を決めるわけではありません。
車は道具です。重要なのは、その道具を誰が、何のために使うのかということです。
人生においても、身体を整えること、知識を増やすこと、スキルを身につけること、AIを活用することは非常に重要です。
しかし、それらはあくまで「車を整備すること」に近い。
最終的に、「どこへ行くのか」を決め、ハンドルを握るのは自分自身です。
Want toとは、自分という存在を道具として酷使することではありません。
自分の身体、能力、知識、環境、テクノロジーなどを、自分が望む未来のために主体的に活用することなのです。
アクセルとブレーキは、どちらも必要
自動車にはアクセルがあります。しかし、アクセルだけでは安全に走れません。
ブレーキも必要です。人生も同じです。Want toは、人生を前へ進めるアクセルだと考えることができます。
「これをやってみたい。」「この未来に行きたい。」
「もっと知りたい。」「この世界を実現したい。」
そうした内側から湧いてくるWant toが、私たちを前へ進ませます。一方で、法律や倫理、他者への配慮、リスク管理などは、人生におけるブレーキのような役割を果たします。
アクセルだけを踏み続ければ、事故につながります。しかし、ブレーキだけを踏んでいても、目的地へは到達できません。
重要なのは、アクセルとブレーキを適切に使い分けながら、目的地へ向かうことです。
だから、本当の自由とは「何でもしていい」ということではありません。
自分で進みたい方向を決め、必要なときには止まり、考え、方向を修正しながら、それでも自分のゴールへ向かって進み続けられること。
これこそが、自分で自分を操縦するということなのではないでしょうか。
道路状況は選べない。でも、操縦は選べる
人生という道路は、いつも快適とは限りません。
突然、雨が降ることもあります。渋滞に巻き込まれることもあります。工事によって道路が通行止めになることもあります。事故によって予定していたルートを変更しなければならないこともあります。
人生でも、同じようなことが起こります。自分ではコントロールできない出来事が起こります。しかし、だからといって、ハンドルまで手放す必要はありません。
渋滞したなら、別のルートを探せばいい。道路が通行止めなら、迂回すればいい。疲れたなら、休憩してもいい。
目的地へのルートを変更する必要があるなら、ナビを再設定してもいい。
ここで大切なのは、「予定通りに進むこと」と「ゴールへ向かうこと」を混同しないことです。
人生では、ルートは何度変わってもいいのです。むしろ、状況に応じて柔軟にルートを変更できることこそ、優れた運転なのかもしれません。
Want toとは、環境を完全にコントロールすることではありません。環境が変化しても、自分でハンドルを握り続けることなのです。
AI時代だからこそ、運転手は人間である

AIが急速に進化している現在、この「運転手」という比喩は、ますます重要になってくるのではないでしょうか。
カーナビは目的地までの最適なルートを教えてくれます。
AIは膨大な情報を整理してくれます。自動車そのものも、運転を支援してくれるようになっています。しかし、どれほどテクノロジーが進歩しても、「私はどこへ行きたいのか」という問いそのものを、自分以外のものに完全に委ねてしまっていいのでしょうか。
AIは、あなたの代わりに情報を集めることができます。最適なルートを提案することもできます。文章を書くことも、アイデアを出すこともできます。
しかし、「私はこの人生で何を実現したいのか」というゴールを決める主体まで手放してしまえば、自分の人生を自分で運転しているとは言いにくくなります。
AIは優秀なナビゲーションシステムになれる。
しかし、人生の目的地を決めるのは自分自身である。
この区別が、これからの時代にはますます重要になるでしょう。
「100%自分で操縦する」とは、一人ですべてをやることではない
ここで、「100%自分で操縦する」という言葉について、もう一つ大切なことがあります。これは、「すべてを自分一人でやらなければならない」という意味ではありません。
自動車の運転でも、カーナビを使います。道路標識を見ます。
ガソリンスタンドを利用します。必要なら整備士に車を見てもらいます。
同乗者に助けてもらうこともあります。
人生も同じです。
家族に助けてもらってもいい。仲間に相談してもいい。専門家の力を借りてもいい。AIを使ってもいい。
重要なのは、「誰の助けも借りないこと」ではありません。
助けを借りながらも、最終的なハンドルを自分で握っていること。
これが「100%自分で自分を操縦する」という意味です。
自分の進む方向を決める。自分のゴールを決める。
自分の意思で選択する。
そして、その選択の結果を自分の人生として引き受ける。
それが、Want to 100%なのです。
そして、本当に行きたい場所へ向かうとき、人はエネルギーを感じる

ここで、旅行のことを考えてみてください。
朝早く起きて、何時間も車を運転する。高速道路を走り、サービスエリアで休憩し、渋滞にも巻き込まれる。身体だけを見れば、それなりに疲れるはずです。
ところが、ずっと行きたかった場所へ向かっているときには、不思議と疲れを感じにくいことがあります。
「あと少しで着く。」「もうすぐあの景色が見られる。」「早く到着したい。」
そんなワクワク感が、自然に自分を前へ進ませてくれます。
もちろん、身体的な疲労がなくなるわけではありません。しかし、「疲労していること」と「疲れ切ってしまうこと」は同じではありません。
自分が本当に行きたい場所へ向かっているとき、人はその過程そのものに意味を感じることができます。
旅行では、目的地だけではなく、そこへ向かう道中さえ楽しくなることがあります。
「どんな景色が見えるだろう。」「途中で何を食べよう。」「もうすぐ到着する。」
未来への期待が、現在の行動を支えてくれるのです。人生のゴールも、これとよく似ています。
本当に行きたい未来が見えているとき、そこへ向かう途中の努力や学習、試行錯誤までもが誰かに「やらされていること」ではなく、「行きたい場所へ近づくための行動」に変わります。
だからこそ、Want toにはエネルギーがあるのです。
Want toは「楽をすること」ではなく、「エネルギーの向きを一致させること」
Want toで生きるというと、「好きなことだけをして、嫌なことは何もしない」という意味に捉えられることがあります。
しかし、本質はそこではないのではないでしょうか。
大切なのは、自分の内側から生まれるエネルギーと、進んでいる方向を一致させることです。
行きたい場所へ向かっている車は、アクセルを踏めば前へ進みます。
ところが、行きたくない場所へ無理やり進もうとしていると、心理的には「行きたい」と「行きたくない」が衝突します。
「やらなければならない。」「でも、本当はやりたくない。」
「失敗したくない。」「でも、これをしないと認めてもらえない。」
こうした状態では、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。
一方で、「私はここへ行きたい。」「だから、この道を進んでいる。」という状態なら、努力そのものがゴールへの移動になります。
これが、Want toが持つエネルギーの源泉なのです。
おわりに──人生という車のハンドルを、自分の手に戻そう
私たちは、自動車を運転するときには当たり前のように交通ルールを守ります。
信号を確認し、周囲を見て、安全に配慮しながら、自分が行きたい目的地へ向かいます。ところが人生になると、いつの間にか他人の期待や社会の常識、過去の失敗、未来への不安にハンドルを渡してしまうことがあります。
「こうしなければならない。」「普通はこうするものだ。」「みんながそうしている。」「失敗したらどうしよう。」
気づけば、自分が本当に行きたい場所ではなく、「誰かに決められた目的地」へ向かっている。
もしそうなっていることに気づいたなら、もう一度、運転席に戻ればいいのです。
交通ルールは守る。周囲にも配慮する。必要なら誰かの助けも借りる。AIやテクノロジーも使う。
そして、そのうえで、自分自身がハンドルを握る。
「私はどこへ行きたいのか?」「本当に行きたい未来は何なのか?」
その問いから、自分のゴールを設定する。
そして、そのゴールへ向かって走り始める。
途中で雨が降ってもいい。渋滞してもいい。道を間違えてもいい。必要なら、ナビを再設定すればいい。
大切なのは、自分がどこへ向かいたいのかを忘れないこと。そして、自分の人生のハンドルを手放さないことです。
Want to 100%とは、何でも思い通りにすることではありません。
社会のルールを尊重しながら、自分の人生のハンドルを100%自分で握り、自分が心から行きたいゴールへ向かって、自分の意思で進んでいくこと。
そして、本当に行きたい場所へ向かっているとき、そこには自然なワクワクがあります。
「早く行きたい。」「もっと知りたい。」「もっとやってみたい。」
その未来への期待が、今日の自分を動かすエネルギーになります。
人生という長い旅の中で、私たちに本当に必要なのは、誰かに運転してもらうことではありません。
自分自身が運転席に座り、自分の行きたい未来へ向かって走ること。
それが、「Want to 100%」という生き方なのではないでしょうか。

補足コラム|なぜ「本当に行きたい場所」へ向かうと、人は驚くほど疲れにくいのか──Want toが生み出すエネルギー。
「朝4時に起きて飛行機に乗ったのに、なぜか全然眠くない」「何時間も車を運転したのに、目的地に着いた瞬間、さらに歩き回れる」「長距離移動なのに、不思議なくらい疲れを感じない」。このような経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。もちろん、身体には負荷がかかっています。筋肉も使っていますし、エネルギーも消費しています。それでも、「疲れた」という感覚が驚くほど小さいことがあります。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。そのヒントは、「どこへ向かっているのか」ということにあります。
人は「移動」だけではなく、「どこへ向かっているのか」によって体験する疲労が変わる
たとえば、片道5時間のドライブを想像してみてください。一つ目は、ずっと憧れていた場所へ向かう旅行です。見たかった景色、会いたかった人、体験したかったこと。車が目的地へ近づくたびに、「もう少しで着く」「早く見てみたい」という期待が高まっていきます。長時間の運転で身体には負荷がかかっているはずなのに、気持ちはむしろどんどん元気になっていくことがあります。
一方、同じ5時間でも、気が進まない仕事や義務のために移動していたらどうでしょうか。まだ出発して1時間しか経っていないのに、「もう疲れた」「まだ着かないのか」と感じてしまうことがあります。もちろん、移動距離や身体的な負荷がまったく同じになるわけではありません。しかし、ここで注目したいのは、同じような時間や距離の移動でも、「そこへ行きたい」と思っているときと、「行かなければならない」と感じているときでは、体験される疲労感や活力が大きく違うことがあるということです。
つまり、私たちは単純に「どれだけ移動したか」だけで疲れを感じているわけではありません。「自分はいったいどこへ向かっているのか」「そこへ行くことにどんな意味があるのか」ということが、現在の行動の感じ方に大きく影響しているのです。
ゴールが「未来から現在」を動かす
苫米地コーチングでは、ゴールを現在の自分から見て「未来側」に設定することが重要だと考えます。これは、人生を「過去の原因によって押されて進むもの」ではなく、「未来にあるゴールによって引っ張られるもの」として捉える発想です。
旅行を考えると、この感覚は非常にわかりやすくなります。まだ目的地には到着していません。それなのに、「もうすぐあの場所に行ける」「あの景色を見ることができる」「あの人に会える」と想像するだけで、今この瞬間の気分が変わります。目的地は、単なる地理的な場所ではありません。そこにある体験、感動、出会い、学び、成長などを含めた「未来の出来事」そのものです。
だからこそ、本当に行きたい場所があるとき、私たちは現在の移動そのものにも意味を感じられます。「あと何時間も運転しなければならない」と考えるのではなく、「あと少しで目的地に近づく」と感じる。未来の楽しみが、現在の行動を支えてくれるのです。
これは人生のゴールについても同じことが言えます。本当に心から望むゴールがあると、そこへ向かう毎日の学習や挑戦、試行錯誤さえも、「やらされていること」ではなく、「自分が行きたい場所へ近づくための行動」として感じられるようになります。
ワクワクは「到着してから」だけではなく、「向かっている途中」に生まれる
ここには、とても重要なポイントがあります。旅行の楽しさは、目的地に到着してから始まるわけではありません。
旅行の計画を立てているときから、すでにワクワクは始まっています。行きたい場所を調べ、ホテルを予約し、地図を眺め、荷物を準備する。その段階から、「どんな景色が見えるだろう」「何を食べよう」「どんな体験ができるだろう」と未来を想像します。
つまり、人は「楽しいことが起きた後」にだけエネルギーを感じるのではありません。楽しみな未来へ向かっている途中にも、期待や好奇心によって行動への意欲が高まることがあります。
脳科学的にも、期待、報酬予測、好奇心などに関わる神経系は、行動を開始したり継続したりする動機づけと深く関係しています。もちろん、これを「ワクワクすれば身体的疲労が消える」と単純化することはできません。しかし、「何を目指しているのか」「そこにどんな価値を感じているのか」が、意欲や努力の感じ方に影響することは重要なポイントです。
Want toのゴールも同じです。ゴールは、到達した瞬間だけ価値を持つものではありません。そこへ向かっている現在の自分に、意味と方向性を与えてくれます。
エネルギーを奪っているのは「距離」だけではなく、「Have to」である
では、なぜWant toでは比較的エネルギーが湧きやすく、Have toでは疲れやすく感じるのでしょうか。
「やらなければならない」「行かなければならない」「断れない」「失敗してはいけない」。こうしたHave toが長く続くと、心の中では「本当は望んでいない方向へ進まなければならない」という葛藤が生じやすくなります。
自動車にたとえるなら、アクセルを踏みながら同時にブレーキを踏んでいるような状態です。エンジンは動いているのに、思うように前へ進みません。燃料を使いながら、進行方向への抵抗も大きくなります。
一方、Want toは、自分が行きたい方向と行動の方向が一致しています。「私はここへ行きたい。だから、この道を進んでいる」。この感覚があると、努力や時間そのものが「目的地へ近づくためのプロセス」になります。
もちろん、Want toであれば何をしても疲れないわけではありません。身体には身体の限界がありますし、睡眠や休養も必要です。しかし、自分が望む方向へ進んでいるという感覚が、同じ身体的負荷の受け止め方や、行動を続ける意欲に影響することがあるのです。
「疲れない」のではなく、「疲労を超えて進みたい理由がある」
ここは、非常に大切なポイントです。
Want toで生きているからといって、身体が疲れなくなるわけではありません。長距離を歩けば筋肉は疲労しますし、睡眠が不足すれば眠くなります。旅行でも、朝から晩まで動き回れば当然疲れます。
それでも、「疲れているのに、疲れが気にならないほど、まだ行きたい」と感じることがあります。
山登りが好きな人は、何時間も坂道を登ります。身体は疲れているはずなのに、「頂上まで行きたい」という気持ちがあるから歩き続けます。好きなアーティストのライブなら、何時間も並ぶことがあります。待っている時間さえも「楽しかった」と感じることがあります。
ここで重要なのは、身体的な疲労がなくなったわけではないということです。
「この時間には価値がある」「ここへ行きたい」という意味が、疲労を上回るほど強く感じられている。
だから、行動を続けることができるのです。
人生においても同じです。自分が心から望む未来に向かっているとき、困難や努力が消えるわけではありません。しかし、「なぜ自分はこれをやっているのか」という意味が明確になることで、その努力の感じ方は大きく変わります。
人生という旅でも、目的地が現在を変える
人生という旅にも、坂道があります。雨の日もあります。渋滞もあります。道に迷うこともあります。思い通りに進めないこともあります。
しかし、「私はここへ行きたい」という目的地が明確なら、途中で起きる出来事の意味が変わります。
坂道は、「苦しい道」ではなく、「目的地へ近づくための道」になるかもしれません。失敗は、「無駄な経験」ではなく、「ルートを修正するための情報」になるかもしれません。遠回りも、「目的地へ向かうために必要な別ルート」と捉えられるかもしれません。
もちろん、現実にはそんなに簡単に気持ちを切り替えられないこともあります。それでも、「私はどこへ向かっているのか」という問いを持つことには大きな意味があります。
ゴールが明確になれば、現在の行動に方向性が生まれます。
そして、その方向性が、自分の内側にあるWant toと一致しているほど、「やらされている」という感覚は弱まり、「自分から進んでいる」という感覚が強くなります。
Want toとは、未来へのワクワクが「今日」を動かす生き方
結局のところ、Want toとは、単純に「好きなことだけをする」という意味ではありません。
もっと本質的には、自分が本当に行きたい未来をゴールとして設定し、その未来へのワクワクを、現在の行動のエネルギーに変えていく生き方だと考えることができます。
旅行であれば、「あの場所へ行きたい」という気持ちが、早起きする力になります。長時間の運転を続ける力になります。途中の休憩や準備さえも楽しみに変えてくれます。
人生でも同じです。
「こんな未来を実現したい。」「こんな世界を見てみたい。」「こんな自分になってみたい。」「この人たちと、こんなことをしてみたい。」
そんな未来へのイメージが明確になると、今日の行動にも意味が生まれます。
そして、未来へのワクワクが、現在の自分を自然に動かしていく。
それが、Want toの持つ大きな力なのではないでしょうか。

おわりに──人生という旅で、本当に行きたい場所を見つける
人生という旅を考えるとき、私たちはつい「どうすれば疲れないか」「どうすれば楽に生きられるか」ということばかりを考えてしまいます。しかし、もしかすると問いの順番が逆なのかもしれません。
「どうすれば疲れないか」の前に、「私は、本当はどこへ行きたいのか?」と問いかけてみる。
本当に行きたい場所が見つかれば、そこへ向かう道のりそのものに意味が生まれます。
もちろん、休むことも大切です。車にも給油とメンテナンスが必要なように、人間にも睡眠や休養、身体のケアが必要です。それでも、人生という車を走らせるための最も大切なものの一つは、「どこへ行きたいのか」という目的地です。
性能の良い車を持つことだけが重要なのではありません。最短ルートを走ることだけが重要なのでもありません。
「私は、この場所へ行きたい。」
そう心から思えるゴールがあること。
そして、そのゴールへ向かう途中で、「もう少しで着く」「もっと先を見てみたい」とワクワクできること。
その未来への期待が、今日の自分を動かすエネルギーになります。
だからこそ、Want to 100%とは、自分の人生のハンドルを自分で握り、本当に行きたい目的地へ向かって走り続けることなのです。
人生という旅において、最も大切なのは、「疲れない車」を探すことではないのかもしれません。
自分が心から「ここへ行きたい」と思える目的地を見つけること。
そこへ向かっているとき、私たちは、思っている以上のエネルギーを自分の内側から見つけられるのかもしれません。
あなたが現状を抜け出して自らが目指す「目的地」に向かうことは、もはや「しなければならない」ことではありません。それは、あなたが「したい」ことに他なりません。
そのためにあなたがとる必要な選択と行動は、そのすべてが「したい」「選ぶ」「好む」という気持ちから湧き起こります。
このようなポジティブな動機を持てば、問題の解決、対立の解消、満足できる最終結果というポジティブなイメージが潜在意識に刷り込まれます。
そして、このことが、最終的にイメージを満足感、達成感、喜びの感情と結びつけ、目標達成を楽しいものにしてくれるのです。
これに対して、「しなければならない」というネガティブな思考を基準にすると、質の高い、自信に満ちた人生を築くことができません。
「したい」にもとづいた選択と行動によってもたされた結果は、すべてがベストの結果と言うことができます。「したい」と考え、持てる力を注いだことは、どんな結果が出たとしても、その結果に責任を持つことができるからです。
一方、「しなければならない」として行った選択と行動によって悪い結果が出たときは、すぐに「本当にやりたくなかった」という言い訳を生みます。「しなければならない」という考えには、結果を受け入れ、責任をとる意志が欠如しているからです。
(苫米地英人『201冊目で私が一番伝えたかったこと』 42‐43頁)
「真のゴール」は〝want to(~したい)〟のゴールでなければいけません。
〝want to〟のゴールを設定できれば、無意識がゴールへ最短距離を選んでくれ、今まで見えなかったものが見えてきて、ゴール達成に必要な知識や情報も収集してくれます。さぼろうとか、ムダな動きをしようとか、そのような後ろ向きの意識は一切なくなります。
(苫米地英人『201冊目で私が一番伝えたかったこと』 43頁)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪

























