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新年度の始まり、SNSでつながっているのに、どういうわけかいつも孤独であることにお悩みではありませんか?
そういうふうに孤独を感じる時は、本をじっくりと読む習慣によって誰かとつながることがオススメです。
実は私は20代から30代にかけていつも孤独感につきまとわれており、そのことでひとり悩むことが多かったのですが、一方で、「読書」という経験にかなり救われました。
なぜ読書に救われたのかといえば、その理由はたくさんありますが、読書によって自分の気持ちが理解されているという「共感」が与えられたことが大きかったように思います。
本を初めて手に取ったのは高校生の時ですが、故郷を離れて一人暮らしを始めた学生時代などは特に、自分のことを理解されなかったり、話が通じなかったり、誰からも相手にされなかったり関心を持たれなかったりしたことに傷つき、心のどこかで屈折したり鬱屈したりしていたものでした。
また、自分と話の合う友人が出来ない時など、世間から見て自分は「普通」ではなく変な奴だと思われていやしないか、などと、いちいち他人の目や集団の視線を気にしてしまい、自分が国内にいても「異邦人」であるような感覚をおぼえたものでした。
さらに、自己肯定感が足りなかった以前は、自信の無さからくる後ろめたさや恥ずかしさといった自己否定感にとらわれることも多く、孤立した状態の時に、友達がたくさんいる(ように見える)人と自分を比較してしまうこともありましたし、幸せそうなカップルを目にすると劣等感を感じたこともありました。
しかしながらそういう時に、カフカやカミュはもちろんのこと、本の作者や小説の登場人物、詩人、哲学者や思想家など、同じように孤独感に悩み苦しみながらも、特異な生を体現している存在に出会える度に、私は精神的に救われたのでした。
そういう意味で、本は、当時、自分にとって友達や家族や恋人のような存在でした。
読書という体験によって心のモヤモヤが言葉になる。
孤独における読書の効用にもうひとつ付け加えると、自分自身のなかの、他人や社会に対する違和感、何となく言葉にできずにモヤモヤしていたことが、本の作者によって言語化されるということです。
自分自身が「一般的に~とは……であると言われているが、実際はそうではないのではないか」と思っていた時に、周りに自分と同じようなことを考えている人がいないと、孤独を感じます。
しかし周囲に自分の考えを理解してくれる人がいなかったとしても、手に取った一冊の本によって探していた答えが見つかるということはよくあります。
たとえば「孤独」に関していえば、「孤独は一般的にネガティブな印象をもたれているが、実はそうではなく積極的に追い求めるものではないか?」と思っていた時に読んだ、諸富祥彦氏の『孤独であるためのレッスン』は、見事にモヤモヤを晴らしてくれる内容だったのを憶えています。
つまり本の著者が自分がうまく言葉にできなかったことを言葉にしてくれていたという瞬間に出会った時、スーッと腑に落ちたように一人ぼっちであることの悩みや孤立感が解消されるのです。
もちろんいくら本を読んでも作者の意図や本の内容を完全に理解することは出来ませんし、自分自身と読書を通じて出会った「他者」は、「私」自身と同じではなく、作者と読者とテクストの間には「ズレ」が生じてしまうことは確かです(そういう意味ではオリジンとしての「私」のデフォルトは「孤独」であり、だからこそ「対話」が生じる)。
しかしたとえ自分は世界のどこにも相容れない存在だと思っていたとしても、苦境に立たされ悩み苦しんでいる自分と似たような境遇の人は、国境に関係なく世界のどこかにいる(もしくはいた)と思えたのです。
そしてたとえ独りであっても読書によって誰かとつながっていたということに救われていた、ということが、孤独について考えている今、思い起こされ、さらにそのような経験が自己というものを作り上げてきたということに気づかされるのです。
つまりは日々の読書の体験が結果的に自己肯定感をはぐくむということなのです。
ちなみに私自身、今も孤独を感じますが、そういう時は本を手に取ることによって救われています。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪
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