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いつもの「運が悪い」「私だけがツイてない💦」を幸運のきっかけに変えてみませんか?
今回は、自分の身に降りかかった「不運」は幸運のきっかけに変えられるということについてです。
前回の記事では、不安を解消するには脳を鍛えるしかないということについて述べました。
そもそも不安とはどういうことかと言えば、目の前の橋は渡っている間に崩落しないだろうか、残り少ない貯金で厳しい冬を越せるだろうか、など、不確実であることが恐怖であるということです。
もしその確実じゃないから安心出来ないという不安の気持ちがずっと続けば、心が休まることはなく、そのストレス状態がさらなる不運な出来事を招き寄せてしまう要因になるかもしれません。
また、もし不運の連続に遭遇すれば、自分自身は不幸だと思ってしまい、気分が落ち込んで悲観的になってしまうこともあるかもしれません。
しかしだからといって「不運」な出来事に遭遇することは決して悪いことではありません。
というのは、もし大事なものを失うといった「不運」な出来事に遭遇した時に、「運が悪かった」と思って終わらせてしまえば、その不運は単なる「ツイてない」や「災難」で終わってしまうのですが、実は捉え方次第では、降りかかった「不運」な出来事を「幸運をもたらすきっかけ」に変えることも出来るのです。
ではなぜ「不運」な出来事は「幸運をもたらすきっかけ」に変わるのでしょうか?
突然の大地震によって大切にしていた食器が割れる、ゲリラ豪雨によって全身がびしょ濡れになる、など、自然災害によるコントロール出来ない不運であれば自分自身に原因はないかもしれません。
しかしそれ以外の自分が「ツイてない」と感じる出来事の多くは、以前にも述べたように、注意不足や情報不足、タイミングの悪さ、過去の経験による予測が外れたことなど、何らかの理由があって生じているのです。
したがってもし不運な出来事に遭遇したら、一つの物事にとらわれすぎて視野が狭くなっていないか、複数の仕事を同時にこなそうとして注意力が散漫になっていないか、早急に物事を進めようとしていないか、など、一度立ち止まり、五感と共に「今・ここ」を意識してみることも大切なのです。
不運の連続 ≒ 不幸 ⇒ 幸運の連続 ≒ 幸福 に変えていく。
また私自身は、イライラしていたり疲れていたりすると、いつものパフォーマンスを発揮できなくなり、そのことで不運な出来事に遭遇しやすくなります。そしてますますイライラして自分の感情のコントロールが難しくなっていきます。
そのため、「疲れている」時は「憑かれている」と冗談交じりに言っていますが、もし不運が続く時は、忙しすぎたり、頑張りすぎたり、無理しすぎたりして体調不良に陥っていないか、自分自身の状態に気づき、セルフケアを怠らないようにすることも大切なのです。
たとえば、もし仕事などでいつも出来ていることが急に出来なくなり、大きな失敗をやらかしてしまったら、気がつかないうちに疲れやストレスが溜まっていることを疑うようにし、栄養ドリンクを飲んで頑張り続けるのではなく、しっかりと休養をとることが必要になってきます。
また、急に風邪を引いたり病気にかかってしまったりしたら、そのことは決して「不運」ではなく、栄養バランスが偏った食事や運動不足などの生活習慣を見直したほうが良いという身体からのサインであるかもしれない、と捉えてみるのです。
健康のこと以外でも、もし普段使っているエアコンなどの家電が急に動作不良を起こしたら、フィルターに埃が溜まっていないかなど、内部を点検し、もし汚れていたら清掃し、これから定期的にメンテナンスするようにしてみるのです。
トイレの水の流れがいつもより悪くなっていることに気づいたら、普段はあまり意識することのない下水道へとつながる敷地内の下水管が詰まってないか、その状態も確認してみるのです。
もし散らかっている部屋で頻繁にモノなくし、すぐに見つけられなかったら、そろそろ掃除したり整理整頓したりしたほうがいいというサインかもしれないのです。
不運によって、運が良かったと気づく。
ちなみに以前の記事で述べた「不安」は、これから良くないことが起こるかもしれない、と危険を知らせてくれるのですが、時々降りかかる「不運」も、もしかしたらもっと悪いことが起こったかもしれない、ということを知らせてくれる警報の役割を果たしていることが多いのです。
そもそも日常生活において私たちに降りかかる「不運」の多くは、ある意味「失敗」(急にうまくいかなくなった)であり、反対に、「幸運」とは「成功」(いつものようにうまくいっている)であるように思うのです。
このように考えると、プライベートであれビジネスであれ、たとえ宝くじが当たらなかったとしても、大きな怪我をしていない、電車に乗っている時に事故が起きないなど、日頃、何事もなくうまくいっている、すなわち、物事が滞ることなく進んでいることはとても幸運なことなのです。
反対に「不運」であるとは、その普段はあまり意識していなかった「幸運」が、予測していなかったアクシデントやトラブルによって失われる、すなわちスムーズな流れが滞ることだとも言えるのです。
別の言い方をすれば、突然の怪我や病気、事故といった不運な出来事に遭遇することで、初めて普段意識していなかった「幸運」(たとえば、自分自身や家族、友達、恋人などが健康であること、毎日住む場所や食べ物があること、いつも使っている家電が正常に動いていることなど)に気づくことが出来るのです。
したがって「不運」な出来事に遭遇した時は、ストレスによるダメージで精神的にイヤな気分になり、不快感に打ちのめされてしまうこともありますが、その不運をただ「ツイてない」で終わらせるのではなく、いつものようにうまくいかなくなったという失敗から学ぶ、つまり「禍を転じて福と為す」きっかけにしてみると良いのです。
このことに関して、たとえば、現代の陰陽師である橋本京明氏は、『強運のつかみ方』という著作のなかで、
「運とは、自分が発したものが返ってきた結果であり、必然のものである」
としたうえで、「不運」については、以下のように述べています。
実は、不運が続くということは、宇宙の法則で見ると、とてもありがたいことなのです。
たとえば、財布を落としてしまった、車を柱にぶつけてしまいバンパーがへこんでしまったなど、アクシデントに見舞われるときは、「もっと注意深くなって!」「地に足が着いていないよ!」という魂からの警告だからです。
警告してくれるからこそ、人は気づくことができます。「次は気をつけよう」「考え事ばかりしていないで、今この瞬間を意識的に生きよう」、そう思えるからこそ、大きなトラブルに発展することなく、終えることができるのです。
(橋本京明『強運のつかみ方』 だいわ文庫 36-37頁)
さらに、
不運に見舞われたときに、「気づき」と思える人は運が上がります。魂からの声を受け取ることができたからです。
また、「これくらいで済んでよかった」と思うことで、感謝に変えることもできます。「お財布を落としたけれど、全財産を失ったわけではなくてよかった」「車を柱にぶつけたけれど、大ケガをせずによかった」といった具合です。
こういうふうに思えれば、今生きていることでさえ「ありがたく」思えるものです。不運を「不幸」ではなく、「気づき」と「感謝」として受け取ると、みるみる運気の上昇スパイラルに乗っていけるのです。
とも述べています。
多くの人は苦しみは少なく幸福に生きたいと願うものですが、日常生活において、災難や苦難(ストレス)が突然降りかかるのは避けられないものです。
しかしながら自分の身に起こった出来事の一つ一つを「不運」だと見なすか、もしくは「幸運」であると見なすかは、自分自身がその出来事をどう捉えるか、解釈の仕方で変わっていくのです。
そしていつもの「運が悪い」を変えるために大切なことは、たとえ不運な出来事に遭遇しても、早めに綻(ほころ)びに気づけたことに感謝し、取り返しのつかない事態になる前に繕(つくろ)っておくことなのです。
(もし靴ひもがほどけていることにいつまでも気づけなかったら、転んで怪我をしてしまうかもしれません。)
「幸運」に見えることが起こったときだけが、
「運が良かった」のではない。
「不運」に見えることが起こったときも、
「運が良かった」ことに気がつくべき。(田坂広志『運気を磨く』 光文社新書 196頁)
何が起こったか。
それが、我々の人生を分けるのではない。
起こったことを、どう解釈するか。
それが、我々の人生を分ける。(同 197頁)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪
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