contents
いつもせわしなく動き続けている手は、これからどこへ行くのでしょうか?
今回は『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』(ヴァイバー・クリガン=リード 著 水谷淳、鍛原多惠子 訳 飛鳥新社 2018年)を取り上げながら、手のゆくえについて少し考えてみたいと思います。
これまで「身体のためにとにかく歩け!!-『サピエンス異変』」、「人新世の人類の腰痛対策とは?-『サピエンス異変』2」という記事を書き、足で始まり移動で進化した初期人類に比べて、現代人は座りっぱなしの時間が増え、代わりに歩く距離が圧倒的に減ったことで、腰痛を抱えるリスクが高くなった、ということについて述べました。
今回の記事では、「足」ではなく、ヴァイバー・クリガン=リード氏による本書『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』で記述されている「手」について述べてみたいと思います。
まず、私自身知らなかったのですが、本書では「RSI(反復運動過多損傷)」という疾患について言及されています。
この「RSI(反復運動過多損傷)」は、主にコンピューター・プログラマーに多く見られるとされていますが、著者のヴァイバー・クリガン=リード氏によれば、「いまではキーボードとマウスがおもな犯人だが、タイピストや工場労働者、音楽家やスポーツ選手もかかる」といいます。
RSIは、あなた、またはあなたの知っている誰かが苦しんでいる一連の病気である。ほぼ誰もが人生のどこかの時点でかかるし、どんな年齢でも発症する可能性がある。手の筋肉や腱や軟組織が影響を受け、反復作業や強い振動、圧力や力の行使(とくに激しい活動)にともなって起こる。たいていは、同じ姿勢を維持したり、おかしな姿勢で仕事をしたりすることで発症する。
(ヴァイバー・クリガン=リード『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』 水谷淳、鍛原多惠子 訳 p271)
いつもせわしなく動き続ける現代人の「手」
そして、「RSI」という障害のことを知りつつ、本書を読み進めていくと、現代人は歩くことで「足」を使う機会は減ったかもしれませんが、反対に「手」は常に忙しいということに気づかされるのです。
私たちの手は注意力と同じようにけっして休むことがないように思える。まるで、好奇心を満たす見返りに際限なく与えられるドーパミンに溺れきっていて、その依存症から抜け出す術を知らないかのようだ。タッチ、クリック、スワイプなど指でやるべきすべての操作がこの報酬系に組みこまれていて(生殖器を含めて身体のほかの部位はそんなことはない)、手と脳の連結が不釣り合いに強くなっている。
(ヴァイバー・クリガン=リード『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』 水谷淳、鍛原多惠子 訳 p275)
その一方で、私たちが世界に起こそうとしている根本的な変化がの一つが、膨大なリソースをつぎこんで、もはや手を必要としないような環境を作り出そうとしていることだろう(現時点ではそれがほとんどの技術革新の推進力になっているようだ)。ToDoリストやメモや日記を書いたり、メッセージを送ったり、映画の時間を調べたり、ショッピングサイトの買い物かごに商品を追加したりといった日常的な作業の縄張りを、SiriやAlexaといった人工知能アシスタントが荒らしはじめているし、自動運転車も夢の未来技術として休息に実現に近づきつつある。
(同)
現生人類は手が理想的な道具となるような環境を作り出す。
パソコンやスマホ、リモコンの操作やゲームなどで、手の指はいつもせわしなく動いているのですが、類人猿の手と比べると、「人間の手は平均的である。けっして何か特定の事柄に適応してはいない」といいます。そして、
しかしそれこそが、人間の手の特徴である。霊長類の手は、それぞれの環境で有利になるように進化した。それに対して、人間の手にはもっとずっと革命的なことが起こった。
私たちがほかの動物種とちがうのは、仕事にふさわしい道具を進化が提供してくれるのを待つのではなく、認知能力によってそのプロセスを逆転させる点である。ほかの類人猿の手はそれぞれの環境に適応しているが、人間は原始的な手を使って、その手や指が理想的な道具となるような環境を作り出すのだ。
(ヴァイバー・クリガン=リード『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』 水谷淳、鍛原多惠子 訳 p286)
と述べているのですが、特に興味深いのは、
「人間は原始的な手を使って、その手や指が理想的な道具となるような環境を作り出す」
としている点です。
そしてさらに、ヴァイバー・クリガン=リード氏は以下のようにも述べています。
私たちは進化してきた。自分たちの手で操れるような世界を、その目的に合わせて作り上げてきた。いまでは手は、もう一つの世界とやりとりするための欠かせない入力デバイスとなっている。タイプしたりプログラミングしたり、自動化したり新発明したりするたびに、トランスヒューマン革命を起動させるスクリーンをそっとタップしているのだ。
今後ますます手仕事が不要になったら、私たちは何をすることになるのだろうか?
(ヴァイバー・クリガン=リード『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』 水谷淳、鍛原多惠子 訳 p287)
やがて手はどこへ向かうのか?
現代人の手はこれまでペンで文字を書いたり、キーボードで文字を入力してきましたが、テクノロジーが進歩することで、今は生活をより便利にするために、スマートフォンやタブレット端末の操作は音声認識が主流になってきています。
このままテクノロジーが進歩していけば、これまで忙しかった手には「余暇」が与えられるのかもしれませんが、その時、手の仕事は一体どこへ向かって行くのでしょうか?
以上ここまで、『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』(ヴァイバー・クリガン=リード 著 水谷淳、鍛原多惠子 訳 飛鳥新社)を取り上げながら、手のゆくえについて考えてみました。
21世紀の健康という観点からは、本書で言及されている「RSI(反復運動過多損傷)」といった疾患を予防するためには、(もし一日中スマホやパソコンを操作しているのであれば)時々手を休ませてあげることが必要であるということが言えますが、そのこと以外にも、本書『サピエンス異変』を読むと、AIなどのテクノロジーの進歩が手の使い方をどのように変えていくのか、その点についても興味が湧いてきます。