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いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、人生はいつも道半ば、学び(アップデート)の連続であるということについてです。
人生は道半ば、学び(アップデート)の連続であるとは、どういうことでしょうか?
まず、この記事で述べておきたいのは、人生を歩むということは非常に不可思議であるということです。
人生というものを、お金はもちろんのこと(お金は人生のなかの一部、価値の一形態にすぎない)、何か特定の尺度によって評価をすることは誰にもできません。
その理由は、どんな人生であれ、人生は常に道半(みちなか)ばであるからです。
そのため、人生が続いている限り、誰も人生というものに対して良いとか悪いとか決めることはできないように思うのです。
親や教師、会社の上司、友達などの評価によって、自分の人生の良し悪しを決めることはできませんし、自分の人生を生きている限り、自分以外の存在が、自分の人生に対して、優劣をつけることもできません。
もしかしたら時々、なんだか自分の人生がうまくいっていないと感じて、気持ちが塞ぎがちになり、他人の人生と自分の人生を比較して、お金や恋人に恵まれているように見える他人の人生のほうが優れている、私のほうが劣っている、といったことを考えてしまう方がいらっしゃるかもしれません。
ですが重要なのは、他人の評価や視線などを気にすることで自分の人生の評価を下げてしまうことではなく、また、他人の人生を羨むことでもなく、現時点でベストな選択を自分で行うことです。
それはまるで、書店にたくさんある本の中から、みんなが読んでいると宣伝されているような、面白いと評判のベストセラーを手に取るのではなく、自分が本当に読みたいと思う本をあえて本棚から選び取るようなものです。
そして、たとえ孤独であることを感じたとしても、誰もいない場所に立っている<自分>という存在に、歓びを感じるようにしてみるのです。
自分の人生は歩み続ける限り完成しないし、他人によって固定できない。
人生はつねに道半ばであり、学びの連続です。もしかしたら、変化が激しい時代に対応するという意味では、「学び」というよりも、「アップデート」、「アップグレード」と言った方が良いかもしれません。
しかし、何歳になっても、毎日が失敗と学びの連続であり、自分に訪れた災難や苦難を、学びや成長のための教訓や試練だと捉えれば、人生は生きている限り、完成することはありません。
つまり、より重要なのは、生きることのなかで学び続ける事、アップデートし続けることによって、
- 自分に対する見方
- 他人に対する見方
- 世界に対する見方
を変えていくことなのです。
「私」とはつねに不完全な存在であり、パーフェクトな人はいないのです。完ペキな人生なんてどこにもないのです。
ですが、それでも人生を歩み続けることに意味があるのは、人生の意味は自分の心の持ち方次第で変えることができるからです。
人生は空しいと思うことがあっても、時の流れと共に、その考え方は変化する可能性があるのであり、一見、その時点では意味がないように思えることも、実は未来に立った視点からは、意味があると思えることもあるのです。
自分とは、本当はつねに無限の宇宙を創り出している不可思議な存在なのです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪