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今回は、『AI原論 神の支配と人間の自由』(西垣通 著 講談社選書メチエ)を取り上げ、未来の幸福を考えるために、その書評・要約を記事にしてみたいと思います。
講談社選書メチエから出ている『AI原論 神の支配と人間の自由』(西垣通 著)は、AI(人工知能)がもたらす未来について、冷静に立ち止まって考えるために秀逸な一冊です。
この『AI原論』を読んで内容が難しいと感じる場合は、第六章の「AIの真実ーー論点の総括」を最初に読むと、要点が分かると思いますが、今回、当ブログでは心とは何かという問題も踏まえつつ、以下の三つのポイントに絞って、西垣通氏の『AI原論 神の支配と人間の自由』の内容を要約してみたいと思います。
- 哲学者が考える主観と科学者が考える客観の違い。
- トランス・ヒューマニズム/シンギュラリティ仮説と一神教思想の類似点。
- 生命と人工知能の違いは何か(自律性と他律系)。
今回は1、「哲学者が考える主観と科学者が考える客観の違い」ということについて述べていこうと思います。
「素朴実在論」と「相関主義」の違いとは何か?
「哲学者が考える主観と科学者が考える客観の違い」ということですが、世界の見方や心とは何か、ということに関してここでまず知っておくべきは、「素朴実在論」と「相関主義」です。
「素朴実在論」と「相関主義」に関して、西垣通氏は『AI原論』のなかで、以下のように説明しています。
いわゆる「素朴実在論」とは、われわれ人間を取り巻く現実世界が客観的に実在しており、そこにわれわれが参加しているという考え方だが、大半のAI研究者は一般人と同じくこの分かりやすい世界観を共有している。だが、少なくともカントの批判哲学やフッサールの現象学はこれを根本から否定しているし、ハイデガーの実存哲学をはじめ現代の主流哲学はむろん素朴実在論など支持していはいない。客観的実在などというものは、たとえ存在するにしても、われわれ人間がただちに認知できるわけではないのである。
(西垣通『AI原論 神の支配と人間の自由』 p26)
相関主義は近代哲学の大前提である。カントやフッサールをはじめ、ハイデガー、ヴィトゲンシュタインなどの思想もこれに含まれる。さらに大きく言えば、ニーチェ、ヘーゲル、ドゥルーズらの思想も基本的に相関主義を踏まえていると言ってよい。つまりそこでは、人間の主観を度外視して事物について正しく語ることができないとされるのである。
(西垣通『AI原論 神の支配と人間の自由』 p75)
主観のなかの客観は、主観を超えた真の客観(絶対知)にはなり得ない
つまり、簡単に説明すると専門家には怒られるかもしれませんが、目の前にリンゴがあったとして、「素朴実在論」では、誰にとってもリンゴがあることは客観的で正しいとするのですが、「相関主義」では、それぞれの主観が関係してくるので、リンゴの見方・捉え方は、それぞれ人によって異なると考えるのです。
要するに、大ざっぱにいえば、「人間と関わりなく事物が客観的に存在」していると考えるのが多くの科学技術者の立場であり、「われわれ人間を媒介せずに事物そのもの(物自体(Ding an sich)にアクセスすることが不可能」だとするのが、近代哲学の立場なのです。
すなわち、主観のなかの客観は、主観を超えた真の客観(絶対知)にはなり得ない、ということなのです。
(なお、この「相関主義」と「素朴実在論」の議論をより深めるために、著者の西垣通氏はフランスの哲学者カンタン・メイヤスーの「思弁的実在論」を取り上げているのですが、非常に刺激的な内容になっていますので、このあたりのことについて関心がある方は、実際に西垣氏の『AI原論』を熟読してみてください。)
そして、人工知能は人間の心の主観の問題を度外視したまま、研究が進められているので、たとえ人工知能が人間の心を持っているように見えたとしても、決して人間の心と同じにはならないのです。
また、意識がなぜ生じたのか、という謎が未だ解明されていないことも、人工知能が人間と同じにはなり得ないことの理由になります。
ましてや、人工知能が、近い未来に、人知を超えた絶対知に到達するとは、考えにくいのです。
「人間の心を機械的に実現する」と言ったところで、あくまでAI研究者という人間が、その心を通じて人間の脳活動その他を分析し、これと等価な機能をコンピューター上に作り込んでいるにすぎない。いかに実証的・客観的な分析をしていると主張しても、「人間の脳が脳をつくる」のであり、人間の脳が完全なものでないとすれば、人知を超える総合知、普遍的な絶対知を自ら追求していくAIを創り出すことは困難なはずである。つまり、「人知の模倣」は必ずしも「絶対知の実現」にはつながらないのだ。
(西垣通『AI原論 神の支配と人間の自由』 p55~56)
機械的知性であるAIが収集し分析したデータの数学的ルールにもとづく処理結果を、未来をふくむ世界の客観的な認知にもとづく絶対的判断であるとして単純に信頼してはならない。少なくとも、人間と無関係な普遍的知性がやがて汎用AIを発展させ、人間にとって幸福な未来を築いていく、という保証はまったくないのである。普遍的知性を述べ立てるトランス・ヒューマニストは、それを考えているのが人間だという事実を忘れている。
(西垣通『AI原論 神の支配と人間の自由』 p183)
以上ここまで、『AI原論 神の支配と人間の自由』(西垣通 著 講談社選書メチエ)を取り上げながら、哲学者が考える主観と科学者が考える客観の違いについて述べてみました。次は「トランス・ヒューマニズム/シンギュラリティ仮説と一神教思想の類似点」と「生命と人工知能の違いは何か(自律性と他律系)」についてです。