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今回は『抗生物質と人間ーマイクロバイオームの危機』(山本太郎 著 岩波新書)ついて述べていきたいと思います。
長崎大学熱帯医学研究所の教授である山本太郎氏の『抗生物質と人間ーマイクロバイオームの危機』(岩波新書)は、抗生物質というものについて考えさせられる、非常に興味深い内容になっています。
私たちの腸内には、100種類・100兆個以上の腸内細菌の集まりである「腸内フローラ(腸内細菌叢)」が存在しており、免疫系に深く関与するなど、私たちの健康維持のために見えないところで様々な働きをしています。
また、腸内環境だけではなく、皮膚や口腔など、ヒトのからだの様々な部位に、微生物群が共生しており、そのことは「ヒト・マイクロバイオータ」とも呼ばれています。
しかし近年、問題になってきていることは、抗生物質の乱用によって腸内細菌叢をはじめとした微生物群の攪乱(かくらん)が起きることです。
ペニシリンやストレプトマイシンなどの抗生物質が、人びとを結核など多くの病気から救ったことは確かです。しかし近年は、必要以上に抗生物質を乱用することによって、腸内細菌の攪乱が起き、そのことが炎症性疾患や自己免疫疾患、アレルギー性疾患などの増加をもたらしたのだとすれば、それは皮肉だとしか言いようがありません。
さらに、家畜の成長を促すために、抗生物質が大量に使われているという事態が、動物やヒトのからだに少なからぬ影響を与えていることも、重く受け止めなければならないように思います。
このような問題について考えさせてくれるのが、山本太郎氏の著作である『抗生物質と人間』なのです。
抗生物質とは、微生物によって作られる、他の細胞の発育または機能を阻止する物質の総称であると書いた。ここでいう他の細胞には、当然、病原細菌だけでなく、宿主細胞も含まれる。例えば、抗生物質が病原菌の発育や機能を阻止したとしても、同時に宿主細胞のそれをも阻止したとすれば、その抗生物質は実用的には使用できない。別の言い方をすれば、できる限り宿主細胞を傷害することなく病原菌だけに作用することができれば、人体にとって副作用が少なく、効果が大きな抗生物質となる。専門用語でこれを「選択毒性」という。医療の現場で使用される抗生物質は、その意味では、なんらかの方法で細胞に対する選択毒性を発揮することによって、機能を発揮する物質なのである。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p23)
多くの研究者が、ヒト常在細菌、なかでも腸内細菌の攪乱が原因かもしれないと考え始めている。腸内細菌の攪乱は、抗生物質の過剰使用、高糖分、高脂質の食事が引き金になって引き起こされる。抗生物質の使用は、感染症の抑制を目的とするが同時に、私たちの身体に常在する共生細菌をも排除する。常在細菌の攪乱は、免疫機能の異常亢進をもたらす可能性がある。これまで何十万年にわたってヒトと共生してきた細菌の一部には、制御性T細胞の存在を通して、行きすぎた免疫反応を抑制する作用があることもわかってきた。
それが攪乱されたとすれば……。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p102~103)
『抗生物質と人間』では「抗生物質」とどのように向き合っていくかが問われている。
しかし、本書では抗生物質の乱用を問題視していますが、著者の山本太郎氏は抗生物質の存在を全否定しているわけではなく、「抗生物質の使用がいけないわけではない。抗生物質が生命に対していかに劇的な効果を示すか私たちはこれまでにも見てきた。その過剰使用が問題なのである」と述べています。
そして、本書『抗生物質と人間ーマイクロバイオームの危機』を読むと、その逆説的な「ポスト抗生物質時代」に突入した現在において、「抗生物質」とどのように向き合っていくかが問われているように感じます。
このことに関して、著者の山本太郎氏は、本書の第6章「未来の医療」において、「私たちに残された道は、その使用法を見直すことしかない」とし、さらに「私たちに残されている道は一つしかない」として、微生物との「共生、共存」について言及しているのは、非常に考えさせられます。
また、本書には以下のように書かれているくだりがあります。
私たちはこれまで、「私」というものが、独立した個別の存在だと考えてきた。しかしそれは、私たちの思い込みにすぎなかったのかもしれない。個別の存在だと考えてきた「私」は、実は「私」に常在する細菌とともに「私」を構成している。そうした「私」は「マイクロバイオータ」と呼ばれる常在細菌叢との相互作用を通して、生理機構や免疫を作動させ、「私」をかたちづくる、と書けばどうだろう。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p70)
ヒトが、ヒトを至高の存在とみなし、その存在に絶対の価値を置き、それを担保とするためには、他の生物やそれを支える環境の存在が欠かせないということである。そしてそれは、「人間非中心主義」の考え方に通じる。すなわち、人間中心主義は、人間非中心主義を部分的に包摂することによって、初めて成立する概念だということになる。
(山本太郎『抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機』 p147)
「ポスト抗生物質時代」における微生物との向き合い方とは?
つまり、「私」とは、ヒトである「自分」のことだと、つい捉えてしまいがちになるのですが、実は、その自分とは、ミトコンドリアや腸内細菌などの微生物をはじめとした自分以外の存在によって成り立っているものなのです。
すなわち、「人間(ヒト)中心主義」が生命を大切にするわけは、真の「人間(ヒト)中心主義」とは、「人間非中心主義」に支えられていることで成り立っているからなのです。
要するに、真の「人間(ヒト)中心主義」とは、人間が他のあらゆる生命の優位に立とうとするがゆえに、人の生活圏から他の生物を単純に有害なものと見なして排除ことではなく、山本氏が述べるように「ヒトが、ヒトを至高の存在とみなし、その存在に絶対の価値を置き、それを担保とするためには、他の生物やそれを支える環境の存在が欠かせない」ということなのです。
このようなことを深く考えていくためにも、山本太郎氏の『抗生物質と人間ーマイクロバイオームの危機』はお勧めです。
また本書は、コンパクトな新書であるにもかかわらず、腸内細菌叢をはじめとした微生物の世界について詳しく簡潔にまとめられていますので、抗生物質のことだけではなく、微生物のこと全般を知りたいという方にもオススメすることができます。
ちなみに、著者の山本太郎氏はほかに『感染症と文明』などの著作もあるほか、 同じように抗生物質の問題について言及しているマーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』(みすず書房)の翻訳なども手がけています。
なお、私なりに考えた腸内フローラの効果的な改善方法についてはこちらのページをご参照ください。