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普段から何事にも感謝の気持ちをもって接することは体の健康やメンタル面を良好に維持するために非常に大切であるように思います。
しかし、かつての私自身がそうでしたが、日頃からささいなことでストレスを感じたり不満を洩らしたりすることが多い場合は、なかなか感謝の気持ちを抱くことが出来ないものです。
すなわち「感謝が大事」とはいっても、自然に湧いてくるのを期待するのは難しいため、感謝を習慣にするための練習として、この記事では、「ありがたい」という言葉をこまめに唱えてみることをオススメしたいと思います。
私たちが生きる現実社会や世界像は、ある意味「言葉」によって形成されていると言えますが、何事に対してもただ愚痴や不平不満を漏らしたり、文句を言ったりするのではなく、「~してくれるだけでありがたい」「あるだけでありがたい」などと唱えるようにし、生きるための糧が「今・ここ」に存在している・成立していることに感謝してみるのです。
たとえば、親や配偶者に作ってもらった夕食のおかずがいつもより少ないと感じた場合、「たったこれだけ!?」と思ってしまうかもしれませんが、そのことに不満を感じるよりは、(もし体調を崩して寝込んでしまっていたら、目の前に夕飯自体が無かったかもしれないのに自分のために)「作ってくれただけでありがたい」「おかずがあるだけでありがたい」と感謝の気持ちを持ってみるのです。
またネット通販で注文した商品が予定よりも遅れて到着した場合は、宅配で待たされたことにストレスを感じてしまいますが、そういう時はオンラインショッピングの利用者が増加していると共に、道路の渋滞や、宅配業界が人手不足であることなども考慮し、「届けてくれただけでありがたい」と思うことで、ストレスや不満が増大し怒りへと変わっていくのを防ぐことが出来るのです。
そもそも「ありがたい」とは、「有ることが難しい」(めったにない)という意味なのであり、「あること」(成立していること)自体が奇跡だともいえるのです。
そして、「感謝する」には、日本語で「おかげさま」というように、自分自身が生きていると同時に、様々な関係性、生命(いのち)の働きによって生かされていることにおのずから気づく必要があるように思うのです。
このことは、ほかの記事で述べた、仏教のいう「縁起」(相互依存的生起)とも関係してきます。
あえて「不足」を感じることで感謝する練習。
繰り返すようですが、突然の自然災害などによって毎日の「当たり前」であることが実は決して「当たり前」ではなかったということを思い知らされる時、初めて日常の様々な「ありがたみ」に気づくのです。
そういう意味では、食べ物だったら時々断食をして空腹を感じてみる、友人同士の人間関係に疲れたらしばらく孤独な時間を過ごすことで他人とのつながりを絶ってみるなど、時々あえて「不足」を感じてみることも、「当たり前」であることのありがたみに気づくきっかけになるかもしれません。
もし日々の生活のなかで不満や愚痴を漏らしたくなる場面に直面したら、日常の「当たり前」を、仏教のいう「縁起」や「おかげさま」という視点から眺め、あえて「ありがとう」や「ありがたい」と、感謝の気持ちを抱くようにしてみてはいかがでしょうか?
ちなみに普段から怒りや嫉妬といったネガティブな感情にとらわれることが多いという場合、あえて感謝の気持ちを持つことを生活のベースにしてみることは、神経心理学者のリック・ハンソン氏もいうように、脳の(神経細胞のつながりの)いつものパターンを変えるという意味で、脳科学的にもオススメです。
感謝するというのは、困難や損失や不公平から目をそらすという意味ではありません。あなたがもらった物にも注意を払うという意味です。特に日常生活でのちょっとしたもらい物に注意を払います。
そうすることで、良い物が自分に与えられ、他の人たちから支えられ、満たされているという感覚が高まって、心安らかになります。開かれた心が、開かれた手に向かっていく、そんな感覚です。
人生に物を奪われるのではなく、人生からたくさんの物を与えられ満たされていきます。自分自身の中に価値あるものが増え、他の人に分け与える余裕ができたと自然に感じるようになります。
(リック・ハンソン『脳を鍛えてブッダになる52の方法』 影山幸雄 訳 サンガ文庫 129‐130頁)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪