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当ブログでは、令和の時代の心と身体の健康のために、マインドフルネスを生活習慣としてとりいれることをオススメしていますが、その「マインドフルネス」は一般的に「気づきの瞑想」だといわれています。
しかしそもそも「気づく」とは、どういうことなのでしょうか? また、「気づく」といっても、一体何に気づいているのでしょうか?
今回は、そのようなことを考えるために、『「気づく」とはどういうことか こころと神経の科学』(山鳥重 著 ちくま新書)という1冊をご紹介したいと思います。
ところで一般的にいう「気づく」とは、心に立ち現れていながらも、これまで意識していなかったことを意識する瞬間やタイミングのことなのだと思われます。
一方、この「気づく」ということに関して、本書『気づくとはどういうことか』のプロローグで、神経心理学が専門の山鳥重氏は、ご自身の「あ、気がついた」という稀な経験を紹介しつつ、
「自分で経験して初めて分かったのですが、「気がつく」とは、間違いなく「自分のこころの動きを自分が意識すること」です。」
「「気づく」が自分の現在のこころの変化を検出するこころの働きだとすると、「意識する」は現在のこころの動きに影響を及ぼし続ける何らかの思いへの「持続する気づき」だと言えます。」
と述べています。
「気づく」をそのように考えると、今度は「意識する」とはどういうことか、ということを考えなくてはならないのですが、著者の山鳥重氏は、エピローグにおいて、
「本書は「「気づく」とはどういうことか」という難しい認識の問題に挑戦しました。簡単に言ってしまえば「気づく」は意識の働きそのものです。そのことを八章に分けてさまざまな側面から考えてみました。」
とし、本書の内容を各章ごとに要約しています。
以下、その山鳥重氏による要約の抜粋です。
第1章・・・「神経過程(からだ)と心理過程(こころ)の間には、科学的な意味での因果関係は成り立っていないのではないかという古くからの大問題を取り上げ、こころは神経過程から創発する、神経過程とは異なる現象である」
第2章・・・「こころはその内容からみて、感情、心像、それに意志というそれぞれ少しずつ違う働き方をする心理過程から成り立っている」
第3章・・・「神経系の働きの基本的な原理を解説」「神経系の発生過程とこころの発生過程の間には明らかな対応関係が認められ」る。
第4章・・・「記憶は、意識化されず行為に展開される記憶、意識化される記憶、それに意味の記憶に大きく分けることができ」る。
第5章・・・「こころ・意識・注意という、似たような概念の整理」
第6章・・・「こころという現象の特殊な性質」
第7章・・・「こころは瞬間的に、自分の「今・ここ」で発生する現象である」
第8章・・・「知性と霊性について」
「「気づく」とはどういうことか」とは、「こころ」や「意識」について考えること。
「意識する」とはどういうことか、ということを考えるとなると、今度は、「こころ」や「注意」、「記憶」とは何か、ということについて考えなければならなくなります。
そして、そのようなことを単純に脳の働きだけに還元するのではなく、神経心理学の立場から考察しているのが、本書『「気づく」とはどういうことか こころと神経の科学』なのです。
特に「こころ」に関しては、私たちは漠然と「こころ」という言葉を使っていることが多いですが、こころとは本書においては、「心理過程の総体」であるとし、
こころにおいては、もともと主体(こころそのもの)と対象(こころが立ち上げる心像)の関係は切るに切れない関係があるのです。
こころに立ち上がるさまざまな心理現象(感情・感覚性心像・語心像・思いなど)は、すべて、「わたし」であると同時に「わたしの対象」なのです。
(『「気づく」とはどういうことか こころと神経の科学』 山鳥重 著 p175)
と述べているあたりは、心とは何か、ということを考えるうえでも、非常に興味深いといえます。
以上ここまで、『「気づく」とはどういうことか こころと神経の科学』(山鳥重 著 ちくま新書)という1冊をご紹介してきました。
本書は、神経系の話題を中心に、「気づく」とはどういうことか、について、「知性」や「霊性」、<コア感情>といったことなども取り上げながら、詳しく、かつ簡潔にまとめられている良書ですので、読んでおいて損はない一冊です。
また、日頃から気づきの瞑想としてマインドフルネスを実践している方で「気づき」を深めたい方はもちろん、普段から「こころ」という言葉は何を意味するのか、ということについて関心がある方にも、本書『「気づく」とはどういうことか』はオススメです。