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普段から「幸運」や「不運」、「開運」といった言葉を意識することはありますか?
以前の記事で、いつもの「ツイてない」は「自分次第」で変えられるということについて述べましたが、今回の記事でお伝えしたいのは、いつもの「運が悪い」「ツイてない」を変えるために私自身が理解したことは、「運」(についての認識)には三段階があるということです。
- 普段、「運」というものをそれほど意識していない。
- 「運」を意識するようになることで、そのつど運の「良し悪し」が気になる。
- 「運」の性質を十分に理解することで、良し悪しが気にならなくなる。
1、普段、「運」というものをそれほど意識していない。
まず、この1は、どういう出来事が起こっても、運が良いとか悪いとか、いちいち考えない段階です。
この段階では日頃「運」をそれほど気にしていない分、「占い」などを信じることもなく、ギャンブルにハマることもなく、毎日が「そういうものだ」として当たり前のように過ぎていきます。
決められたルールに従い、「運」に左右されることなく生活することは無難であると言えるかもしれませんが、しかしながら、出来事の背景に「運」や「運気」というものが関わっていることを見逃していることによって、「不運」を変えるチャンスや、今よりも大きな「好運」に恵まれる機会を逃してしまっています。
2、「運」を意識するようになることで、そのつど運の「良し悪し」が気になる。
次は、「運」というものにとらわれている状態であり、自分の身に起こった出来事に対して、「今日はツイてる・ツイてない」など、「運」が「良い/悪い」と判断してしまっている段階です。
「運気」の流れや、テレビや雑誌の「占い」などが気になってしまうのもこの段階にあたるため、「幸運」か「不運」かで一喜一憂してしまい、良くも悪くも、毎日の生活が「運」によって左右されてしまいます。
このことについては、「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)ということわざが示すように、その時「幸運」だと思った出来事が、後々、「不運」な出来事につながるかもしれませんし、その逆もまた然りなのです。
3、「運」の性質を十分に理解することで、「運」の良し悪しがそれほど気にならなくなる。
2の段階を越えてこの段階に到達できれば、「運」が「良い」とか「悪い」とかは、状況によって変わってくるということをこれまでの経験と運についての洞察によって熟知しているため、いちいち自分の身に起こった出来事に対して「運」が「良い/悪い」と決めつけなくなります。
たとえば、猛暑の日に、ペットボトルに半分残っている水を「もう半分しかない」(悲観的)か「まだ半分もある」(楽観的)ではなく、「水が残ってるだけでありがたい」と思える心境であるとも言えます。
もしくは、「日々是好日」(にちにち これ こうにち・こうじつ)、という禅語が示すように、たとえ不運(もしくは幸運)が連続したとしても、「運が悪い/良い一日だった」ということにとらわれない、毎日毎日がかけがえのない、好ましい一日であったと思えるようになる境地なのです。
「doing」ではなく「being」、一時的な幸福ではない「ウェルビーイング」などもこの段階に相当します。
なお、この段階に達するためには長い道のりが必要ですし、私自身もまだまだ道半ばですが、マインドフルネスや瞑想の実践を毎日積み重ねることによって、このような、ちょっとした「幸運」「不運」に心を揺さぶられることのない、「運」にとらわれない生き方を実現することは可能なのです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪