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今回は前回に引き続き、『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』(岸見一郎 著 講談社現代新書)を取り上げながら、幸福への第一歩は他人からの評価を気にしないことである、ということについて述べていきたいと思います。
前回の記事では、岸見一郎氏の『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』において、「幸福」とは「なる」ものではなく、人は「何かの実現を待たなくても、成功しなくても、すでに幸福で<ある>」ということが示されていることをご紹介しました。
また、この『幸福の哲学』は、他人からの視線や、他人からどう思われているか、ということばかりが気になっている方や、いまの時代を生きることに何らかの不安を抱えている方は、一読してみると、もしかしたら、何か新しい気づきや、生き方を変えるためのきっかが与えられるかもしれないということについても述べました。
この記事で述べたいことは、他人の評価によって自分が持っている本来の価値が変わるわけではない、ということです。
特に現代社会においては、SNSの発達によって、誰もが気軽に情報発信を出来るようになりました。しかし発信した情報に対して、その情報の内容を評価されることを期待したりしてしまうと、今ここにある幸福は遠ざかっていってしまうように思います。
このことに関して、岸見一郎氏は、
どう思われるかを気にしていると、行動の自由を制限される。自分が何をしたいということよりも、人に認められることの方が重要なので、何かをするか、しないかを自分では決められなくなる。他者が自分の行動の決定権を持つことになるのである。
(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p156)
と述べていますが、必要以上に他人の評価や視線を気にしてしまうと、途端に本来自分がやりたかったことが出来なくなってしまうのです(しかも、自分のやりたいことに没頭する時間も減ってしまいます)。
前回の記事では、大事なのは、どこか遠くに幸福を探しに出かけたり、ふいに幸運が訪れることを期待したりすることでもなく、生きていること自体がすでに「幸福」である、と気づくことだ、と述べました。
必要なのは、他人の評価を気にせず、自分らしく生きること。
そして、そのためにはやはり、他人の評価や視線を気にせず、自分らしく生きることが必要になってくるのです。
つまり、自分の行動を他者の評価に依存している限りは、今ここにいるありのまま自分の価値に気づくことが出来ないのです。岸見氏は、
「すでに人は今ここで幸福である。このことは、ちょうど人の価値が生産性にではなく、生きていることにあり、今のままの自分以外の何者かにならなくてもいいことに呼応している。」
と、『幸福の哲学』のなかで述べていますが、無理に他人からの評価を求めたり、強迫的に社会での成功を目指したりしなくても、今ここにいる自分には、他人による評価やお金とは関係ない、本質的な価値があるのです。
人が自分に対して行う評価と自分の本質にはまったく関係がない。多くの人が共通した評価を自分に下すというようなことがあった場合には、その評価をまったく無視していいというわけではないが、そういうことでなければ、他者の自分についての評価に一喜一憂する必要はない。
他者の評価によって自分の本質が決まるわけではなく、自分の価値が上下するわけでもない。だから「いやな人ね」といわれても落ち込むことはないし、「いい人ね」といわれたからといって舞い上がるのもおかしい。それらはある人の評価でしかなく、その評価によって自分の価値が決まるわけではないからだ。
(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p157~158)
幸福に生きるための第一歩は、今・ここに生きている自分の価値をただ認めることから始まる。
そのため、幸福に生きるための第一歩は、SNSの「いいね!」とか「インスタ映え」など、他人からの評価をいちいち気にせず、今ここに生きている自分の価値をただ認めることから始まるのです。
(実際のところ、そうはいってもやはり他人の視線や評価が気になってしまうという方は多くいらっしゃると思います。その場合は、たとえば1分間でも良いので、マインドフルネス瞑想などを行い、「今・ここ」にいる自分と、すでにここにある「幸福」に気づいてみてください。)
他者に煽られたり、流されたりすることなく、自分がしようとしていることの目的を見極めようとする人は、主体的に幸福を選択することができる。そのような人は、皆が進むのと同じ方へと向かって歩いていこうとはしないことがある。皆が酔っているのに、その一人だけが醒めている。皆が成功を目指していても、日常のささやかな幸福があることを知っている。そのような人が為政者にとって好ましくない人であることは間違いない。
(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p64)
人からよく思われなくても、また、低い評価しかされなくても、そのことは自分の本質には関係がない。自分の課題は価値ある自分になるように努めることだけである。他者の評価を気にしたり、他者の期待に添おうとすることでは、ない。
他者からどう思われるかを気にしている限り、自分を評価する他者に依存することをやめられない。他者からの評価を待たず、自分で自分の価値を認められること、決められることこそ自立である。
(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p143~144)
嫌われることも含めて、他者の評価を恐れず、他者の評価から自由にならなければならない。誰も嫌われたくはないが、もしまわりに自分を嫌う人がいるとすれば、嫌われることは自分が自由に生きていることの証であり、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えなければならない。
(岸見一郎『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智慧』 p157)