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般若心経を唱えることを日々のライフスタイルにとりいれることで、毎日のつらい気持ちを少しでもラクにしてみませんか?
今回は、般若心経の【色即是空】をマインドフルに感じることが心身のバランスを整え、一日一日を幸福にする、ということについてです。
「般若心経(はんにゃしんぎょう)」は日本人には馴染みが深く、特に好まれているお経だといえます。
しかし、名前だけはよく耳にすることはあっても、中身についてはよく分からない、という人は意外と多いのかもしれません。
お経というとお墓参りや法事のイメージや、お線香の匂いと結びつけられてしまいますが、般若心経はそれだけではもったいないお経です。
なぜなら、般若心経に書かれている内容とは、「色即是空(しきそくぜくう)」や「空即是色(くうそくぜしき)」といった言葉で知られているとおり、「空(くう)」についてだからです。
「色即是空」の「色」とは目に見えるもの、形あるものを含めた、この世を作っている物質要素や物質的現象のことです。
一方「空」とは、実体がないということです。
つまり、「色即是空」とは形あるものに実体は無いということであり、「空即是色」とは、実体がないものが物質というかたちをとって現われている状態のことです。
「空」を理解することで、いのちの全体性のようなダイナミックなものにつながる。
このことは、「縁起」などのブッダの教えにあるように、ありとあらゆる物事は関係性のなかで変化し続けているために無常であり、全ての苦しみは無常であるものに執着することから生じる、ということと深く関係しています。
また、「空」を識るということは、からっぽだから「空しい」のではなく、執着や悩みが消え去った分、いのちの全体性や宇宙の創造原理のような、ダイナミックなものにつながっていくきっかけになるため、反対に元気が湧いてきますし、自分のなかの、普段は気づくことがない生命力を実感することにもつながっていきます(参考 苫米地英人『一生幸福になる 超訳「般若心経」 』)。
般若心経についての詳しい知識や成立の由来などについては割愛しますが、もともとはインドではなく中国で書かれた偽経(ニセのお経)だという説が有力になってきています。
そのため、仏教の智慧が正しく書かれておらず、「空」と「無」を混同するなど、間違いだらけだという批判もありますが、般若心経は262文字という短い中に仏教の最良の要素がたくさん詰め込まれているため、毎日、空いた時間を利用して読経を行うだけで、煩悩や執着心から解き放たれ、こころが安らぐ心地がするのです。
般若心経は<今>に集中しながらマインドフルに唱えてみるのがお勧め。
現在、『般若心径 読む・聞く・書く 読誦CD付き』(西東社)など、読誦CDが付いている般若心経の入門書が出ていますので、CDで聴きながら、簡単に般若心経を声を出して読経することが出来ます。
もし家族などが近くにいて聞かれるのが恥ずかしいという場合は、ヘッドホンやイヤホンなどで聴くのが良いと思います。
しかし、読経に関しては、心の中でするのも悪くはありません が、やはり声に出しながら、色即是空を体感するつもりでなるべくからだに響かせた方が、気持ちがスッキリとしますし、声を出している間、吐く息が長くなるので、自然と呼吸も深まります。
さらに、テキストの文字に集中したり、からだに響いている自分の声を感じたりするなど、マインドフルネス瞑想と組み合わせて唱えてみるのもおすすめです。
般若心経は声の響きを心で感じることが大切。
また、読んでいる間、声の響きを心で感じ取ることは非常に大切です。
玄侑宗久住職も「文字という一般的な知から入った教えを」、「息吹に溢れた響きへと、還元しなくてはならない」としています。
それに加えて、「声の響きと一体になっているのは、「私」というより「からだ」、いや、「いのち」と云ってもいいでしょう」とも述べています。(参考 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』)
したがって、般若心経に書かれている内容について理解することも大事ですが、とりあえず最初に読んでみて、言葉の響きを体感してみることを強くおすすめします。
ちなみに、般若心経の最後の一文は、
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
となっており、「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー はらそうぎゃー てー ぼーじーそわか」と一般的には読みます。
そして、この一文は密教の影響が色濃いマントラだとされていますが、マントラについては、分かりやすい意味をそこに求めたり、マントラ自体にご利益を期待したりするよりも、分かりにくい意味がことばによって表現されている、と考えたほうが理解しやすいと思われます。
般若心経は意味を頭で理解するよりも、毎日唱えてみることが大切。
それと同じで般若心経も、意味を深く考えるよりも、まず最初に読む習慣をもってみる。そして慣れてきたら「色即是空」をはじめとして、経文中の「般若波羅蜜多」や「五蘊皆空」、「諸法空相」、「空境涅槃」といった文字に、どのような意味が込められているのかを自分なりに探求してみると、理解が深まります。
さらに、ますます般若心経の読経を習慣化することに(心の悩み苦しみを減らして幸福になるという)意義をもたせることができるようになるのではないでしょうか?
「般若」の捉える「全体性」は、無常に変化しつつ無限の関係性の中にあり、それはいつだって絶えざる創造の場である。そこでは、我々の成長に伴って確立されるという自立した「個」も、錯覚であったと自覚される。そして自立した「個」を措定していたことこそが「迷い」や「苦しみ」の元であったと知るのである。
おそらく、世に云うお釈迦さまの「悟り」や「目覚め」の内容とは、主にそういうことではなかったかと、今の私は思っている。
(玄侑宗久『現代語訳 般若心経』 p14)
「空」を本当に理解できれば、この世のあらゆる悩みから解き放たれます。悩みも、悩みの種もすべて「空」だと理解できるからです。
内容をしっかりとイメージして「般若心経」を唱えると、必ずその内容があなたにとっての現実となります。そのためにあなたは「般若心経」を唱えるのです。
(苫米地英人『一生幸福になる 超訳「般若心経」 』 p58)
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。