
読書によって、マインドフルネスの奥深さをもっと探究してみませんか?
今回は、『マインドフルネスの探究 身体化された認知から内なる目覚めへ』(ジョン・ティーズデール 著 湯川進太郎 訳 北大路書房)という一冊をご紹介します。
この『マインドフルネスの探究』は、邦訳のタイトル通り、マインドフルネスを真に「探究」したい方にとっては、読み応えのある一冊です。
この『マインドフルネスの探究』のなかで、相互作用認知サブシステム(ICS)の提唱者の一人である、著者のジョン・ティーズデール氏は、私たちの心には、概念(観念)に基づき、「言葉でやりとりするのが容易」で、「思考や認識として経験される」、「概念的な認識方法」と、「言葉でやりとりするのが困難」で「感情とは直接的につながっている」、「全体論的直観的な認識方法」の二つがあると説明しています。そして、 「マインドフルネスは、私たちの二つの認識の仕方の関係のバランスが取り戻す方法――全体論的直観的な認識が主導権を握るようにする方法—―を提供する」と述べています。
後半部ではより興味深いことに、空性や縁起、慈悲といった仏教の叡智、智慧について言及しつつ、「相互作用認知サブシステム(ICS)」をさらに発展させた「全体論的直観的システム上位モデル(HOL-ISSMs)」なるものが提示されています。
難しい言葉が続きましたが、この本が何を伝えようとしているのかといえば、その一つは、「概念的な認識方法」、主に言葉による思考だけでは、幸福を達成したり、ウェルビーイングに到達したりすることは難しいのではないかということです。
なお、この本の翻訳者である湯川進太郎氏は、「訳者あとがき」のなかで、
今、巷にはマインドフルネスに関する書籍が無数にあります。多くの人が手に取りやすい一般書の類では主に、マインドフルネス(瞑想)とはどのようにするもので、そうした一般書の類とはまったく趣を異にします。ここで説かれていることは、マインドフルネスの正体、マインドフルネスの本質、マインドフルネスの真の姿です。そもそも、マインドフルネスは「~のために」するものではありません。それはマインドフルネスの本質と矛盾します。ではなぜわれわれはマインドフルネスを必要とするのか。それは、本書を読み進めていくうちに、自ずとみえてきます。(346頁)
と述べていますが、この『マインドフルネスの探究』を読むと、「マインドフルネスの本質」を学ぶための有意義な時間を過ごせるのです。

『マインドフルネスの探究 身体化された認知から内なる目覚めへ』 ジョン・ティーズデール 著 湯川進太郎 訳 北大路書房
幸福を達成する概念的アプローチは、けっしてその約束を果たすことなく、慢性的な不満・分離・一体性の欠如といった状態に私たちを閉じ込め続ける自己永続的なシステムをつくり出す。この状態を改善しようとすると、概念的な目標志向過程それ自体が、改善しようとするまさにその断絶の感覚を維持する条件を必然的につくり出す。私たちは完全に「家にいる〔くつろいでいる〕」ことはない、つまり、まわりの人との安心できる社会的な絆の心地よさのなかで安堵することはないと、あるレベルでは感じていて、もし何もしなければ、家なしの痛みが常に自分に付きまとうことになるのを恐れるのである。
『マインドフルネスの探究 身体化された認知から内なる目覚めへ』 ジョン・ティーズデール 著 湯川進太郎 訳 北大路書房 26頁
概念と現実との間の関係を疑いなく前提とすることが、多くの人間の不幸の根底にある。概念の空虚さへの洞察――実際のところ、概念の背景に内在的な性質をもつ自存し独立した実体は存在しない、ということを理解すること――は広く、内なる目覚めにおける主な要因とみなされている。概念は抽象的な観念――一般的なカテゴリーであり、そこでは、特定の経験に関連する感覚情報のパターンから数段階が取り除かれている。それでも私たちの大半は、背景にある特定の現実を概念が直接的に指示していて、概念はそれが意味する現実と同等ととらえることができる――概念をある意味で「現実」ととらえることができる――という根深い直観をもっている。
多くの場合、概念的な目標達成方略はこの前提に依存し、かつ、この前提を強化する。この方略が機能するには、物事の今の状態に関する私の観念は実際にそれがどうなっているかと同等であり、出来事の望ましい状態(目標)に関する観念は達成しようとする現実の状況と同等であるととらえる必要である。
同 40‐41頁
全体論的直観的な認識は、経験的な認識方法である。つまり私たちは、潜在的な感覚もしくは感情の直接かつ即座の経験をとおして、そうした意味を「知る」。その経験は、顕在的概念的な認識の、純粋に認知的現実的に「事実を知ること(命題知)」とはかなり異なる。
丁寧に注意を向けることで私たちは、あらゆる経験は、感情のトーンとして経験する基本レベルの全体論的直観的な意味を引き起こす、ということに気づくようになる。その感情のトーンとは、「快」か「不快」もしくは「快でも不快でもない」といった感覚である。こうした感情は、私たちが遭遇する状況や経験について最小限の瞬間ごとの統合的評価を、絶えず読みだしているものである。この評価によって私たちは、とりうるべき基本的な方向性を即座に導き出している。すなわち、「接近」か「回避」もしくは「接近も回避も必要ない」か、である。
同 54頁
私たちの大半にとって、概念的な認識は、全体論的直観的な認識よりも、心のなかで支配的な影響力をもっている。解放感や一体感を得ようとするなら、その習慣的なパターンから自分自身を自由にして、全体論的直観的な認識が主役の座を得るようにしなければならない。このように、概念的な認識は、私たちの心がつくり出すより広い経験世界のたんなる一要素として統合することができる。そして、そうした経験世界が絶えず更新・改変されるようになれば、私たちは、一瞬一瞬、新たに展開する生命の感覚をもつことになる。
同 22頁
今回は、『マインドフルネスの探究 身体化された認知から内なる目覚めへ』(ジョン・ティーズデール 著 湯川進太郎 訳 北大路書房)という一冊をご紹介しました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます💛💛💛


























