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毎日マインドフルネスを実践することで「運が悪い」を変えてみませんか?
今回は運の良し悪しは客観というより主観であるワケについてです。
前回の記事で、不運な出来事に遭遇して「何だか運が悪い」と思ったとしても、マインドフルネスによって一度気持ちをニュートラルにし、そこから「本当に運が悪いとは限らない」、さらに「この不運は未来の幸運につながる」といったように考え方を修正してみる、もしくは、ひと呼吸置き、「運」が良くなるまで待ってみることが、「運が悪い」を変える秘訣であると述べました。
日常生活においては、応募したことをすっかり忘れていた懸賞で豪華賞品が当たったり、大事にしていた帽子が突風によって飛ばされてしまったり、など、自分が予測していなかったことで、「運」が良いと思ったり悪いと思ったりすることがしばしばありますが、ある出来事に対して、運が「良い」とか「悪い」とか思うことは、誰にとっても同じという意味で「客観的」なのではなく、かなり「主観的」(自分自身のものの見方による)なのです。
前々回の記事で運(運気の流れ)とは、天気や空模様のようなものだと述べましたが、たとえば、学校で運動会が開催されている時、運動が得意な生徒にとっては、楽しみにしていた運動会が突然の大雨で中止になってしまうことは不運ですが、反対に運動が苦手で嫌々ながら参加している生徒にとっては幸運なのです。
また、突然の雷雨に見舞われて買ったばかりの靴が濡れてしまうことは、おしゃれに気をつかっている人にとっては不運な出来事かもしれませんが、日照りが続いていた場合、農業に従事していたり、植物を育てていたりする人にとっては、ひさしぶりに恵みの雨が降ってくれることは幸運なのです。
さらに、生活費を工面するのに苦労している人にとっては、道端に一万円が落ちているのを見つけた際は、そのことをラッキーだと思うかもしれませんが、お金に苦労しておらず、有り余るほどの貯金がある人にとっては、一万円が落ちていることは、幸運と呼べるほどの特別な出来事ではないのです。
しかも、忙しい時や急いでいる時であれば、お金が道端に落ちているのを見つけることは、警察に届けなければならないという責務が生じる分、ラッキーな出来事であるとは言い難いのです。
つまり、ここで何を述べたいのかと言えば、「運」の良し悪しとは、その人自身のものの見方によるのであって、誰にとっても同じではないということです。
より具体的に述べると、ひとつの出来事に対して、「運」が「良い/悪い」というフィルターを通して眺めているのは、自分自身だということであり、当たり前のことかもしれませんが、Aさんにとっての「運が良い」と感じられる出来事は、Bさんにとっても同じであるとは限らないのです。
運の良し悪しは時間と共に変化する。
また、前回の記事でも述べましたが、その「運の良し悪し」の意味合いも、時間の経過と共に変わっていくのです。
ある日突然、不慮の事故や盗難、詐欺に遭うことによって、怪我を負ったり、大金を失ったりすることは「運が悪い」ことかもしれません。
しかし「命が助かって良かった」と思ったり、その出来事をきっかけに以前よりも注意深く生活するようになったことで、事故や犯罪に巻き込まれるリスクが減ったりしたら、自分に降りかかった災難は単に「運が悪い」出来事であるとは言い切れないのです。
またお金のない貧乏な家に生まれたことを「不運」であると子どもの頃に感じていたとしても、経済状況が苦しい家庭環境で身につけた節約術や賢いお金の使い方のおかげで、大人になってから裕福な生活を送れるようになったとしたら、経済的に貧しい家庭で育ったことは「不運」ではなくむしろ「幸運」だったと、歳月の流れと共に「運」についての認識が変わるかもしれないのです。
すなわち、この記事ではお伝えしたかったことは、「運」の良し悪しは「客観的」(誰にとっても同じ)ではなく、「主観的」(自分自身のものの見方による)であるということ、また「運」の良し悪し自体、時間の経過と共にその意味合いが変わってくるということです。
そう考えると、実は運(運気の流れ)に「良い」も「悪い」もないかもしれないことが分かってくるのですが、自分自身の主観・思い込みによって「運」の「良い/悪い」を一方的に決めつけるのではなく、その判断をいったん宙づりにするために、マインドフルネスの実践は役立ってくれるのです。
お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪
運が悪いを変えるにはマインドフルネスの習慣化が大切です。
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