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今回は『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』(ウ・ジョーティカ 著 新潮社)という本を、マインドフルネス瞑想を長く続けていくための一冊として、ご紹介したいと思います。
このウ・ジョーティカ氏の『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』(魚川 祐司 訳)は、マインドフルネス瞑想をより理解したり深めたりすると同時に、マインドフルネス瞑想を長く続けていくためにオススメの一冊です。
なぜなら、私自身、瞑想に関する本は何冊も読んできましたが、この『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』には、マインドフルネス瞑想の本質が、(理論的な解説がなされつつも)ウ・ジョーティカ氏の非常に日常的で平易な言葉で書かれているからです。
また、ウ・ジョーティカ氏の言葉が、これからマインドフルネス瞑想を続けていこうと思えるように、心に響きます。
そして、本書の内容は瞑想合宿(リトリート)に先立って行われた連続講義ですが、マインドフルネス瞑想を実践するにあたって、何度も読み返したい一冊でもあります。
このように述べる理由は、マインドフルネス瞑想は、シンプルであるがゆえに、マインドフルネス瞑想の中身を真に理解して実践するには難しいからです。
いま私が説明していることは、実のところ
とてもシンプルです。しかし、シンプルなことを行うのが難しいのです。
私たちは、物事をどんどん複雑にしてしまう。
瞑想をするというのは、とてもシンプルなこと。それができますか?
あなたは、シンプルになろうとしていますか?
(ウ・ジョーティカ 『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 魚川 祐司 訳 p190)
『自由への旅』を読めばマインドフルネス瞑想の本質が理解できる。
マインドフルネス瞑想について、生成消滅のプロセスをあるがままに観察するということを、ただ知識として頭で分かっているつもりでも、実践するとなると、すぐに自分自身が執着や雑念に囚われてしまいます。
またマインドフルネス瞑想を実践するにあたっては「分かっているつもり」になったり、勝手に自分で概念を弄んだりすることが最大の落とし穴であったりします。
そのため本書の使い方としては、一度通読しただけで理解したつもりになるのではなく、マインドフルネス瞑想を実践しながら、何度も本書を繰り返し読み、マインドフルネス瞑想の本質を理解していくのが良いと思われます。
ちなみに本書の翻訳をしており、同じ新潮社から出ている『仏教思想のゼロポイント』の著者でもある魚川祐司氏は、「「マインドフルネス」やウィパッサナー瞑想のマニュアルは世界中で大量に出版されていますし、またテーラワーダの実践について教理の側面から解説を加えた書籍も多くあります」としたうえで、
しかし、本書のように、ウィパッサナー瞑想によってもたらされる実践者の変容を、教理的に跡づけつつ順を追って丁寧に解説し、さらにそれを、西洋の知的文脈と対比しながら、同時に私たち在家の生活者の日常や実存の具体的な問題とも調和させつつ語りきるという、このように周到な著作は、なかなか例がありません。
(『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 p545)
と述べています。
生成消滅を観察することができた時、
不幸な思いが心に生じても、それは消滅するということを、
あなたは知ることができる。
あなたはそれについて何もする必要がない。
何らかの種類の欲望が生じた時でさえ、
あなたはただそれを注視することができ、するとそれは消えていく。
その心の状態に基づいて行動することを、あなたは強いられていないのです。
あなたはその心の状態に従う必要がない。
選択することができるのです。
(ウ・ジョーティカ 『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 魚川 祐司 訳 p275)
瞑想において、物事は常に変化します。
瞑想経験とは、常に同じところに
留まるものではないのです。
(ウ・ジョーティカ 『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 魚川 祐司 訳 p145)
手を放した瞬間に、あなたは自由です。
私たちは自由を求めるが、同時に対象にしがみついてもいる。
「自由になりたい、自由になりたい」
にもかかわらず、なぜ私たちは手を放さないのでしょう?
(ウ・ジョーティカ 『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 魚川 祐司 訳 p415)
心を一つの現象に、より長く留めれば留めるほど、
より明らかにあなたは見る。生成と消滅を、
より明らかに観察するのです。
(ウ・ジョーティカ 『自由への旅 「マインドフルネス瞑想」実践講義』 魚川 祐司 訳 p262)
なお、マインドフルネス瞑想の方法について関心がある方はこちらの記事をご参照ください。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪