contents
コロナ禍をきっかけに、ブッダの教えでこころをラクにする生き方、始めてみませんか?
前回の記事では、心の苦しみを生み出す原因「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」のうち、「瞋」について述べました。
今回は「痴(癡)」についてです。
三毒のうちの「痴(ち)」とは、無知や妄想、愚かさのことで、縁起についての記事でもご説明いたしました「無明」のことでもあります。
具体的に言えば、はっきりと分からない、真実を知ることが出来ないということです。
「灯台下暗し」という言葉がありますが、何かに悩んでいる時、近すぎて見えていないだけで、本当に大事なものは、実はすぐそばにあったと気づくことがあります。
また、過去を振り返り、「あの時、あんなことをせず、ああすれば良かった。バカなことをした。失敗だった」と悔やむことが私自身よくあります。
しかし大事な決定や選択する時点では、その後どういう未来が待ち受けているか分からないため、推測は出来たとしても未来を完全に見通すことが出来ません。
たとえば、大事なイベントを成功させるために、これまで長い時間と労力を費やして準備してきたのに、巨大地震や大型台風といった自然災害のために、中止せざるを得なくなり悔しい思いをしたという経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。
そういう意味では、ヒトは無知であるがゆえに、常に正しい選択をすることは不可能だと言えます。
ヒトは世界をありのままに見ることは出来ない。
さらに「痴」とは、思い込みや偏見、誤解などによって物事を正しく判断できていないことでもあります。
たとえば普段私たちは、物事や特定の情報に対して、「好き/嫌い」「良い/悪い」「きれい/きたない」「正しい/間違っている」「敵/味方」などと、自分自身の思い込みや先入観によって、一方的に価値判断してしまっています。
また、人は自分の見たいものしか見ないとよく言われますが、決して中立ではなく、自分の興味・関心があるものを優先的に見てしまう傾向があります。
このような心の働きの偏りや歪みのことは一般的に「認知バイアス」といわれていますが、決して各々(おのおの) が完全に共通した、等しい世界を認識しているわけではなく、そのひとがその時抱えている気分や興味・関心、母国語の違いや文化などで世界の見え方は違ってきます。
つまり、世界をありのままに見ることが出来ないのです。
認知科学の研究を行っている鈴木宏昭氏は、『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』のなかで、この認知バイアスについて、
認知バイアスという言葉は、心の働きの偏り、歪みを指す。ただしだからと言って、精神疾患などに見られる心の働きを指すわけではない。こうした疾患を持たない人たちの行動の中に現れる偏りや歪みに対して認知バイアスという言葉が用いられる。
認知バイアスは、人間の本能でも、生得的な性質でもない。それは文脈によってバイアスになったり、私たちの支えになったりしてくれるものなのだ。
と説明しています。
進化の過程で獲得された「認知バイアス」自体には、良いも悪いもないのかもしれませんが、この「認知バイアス」は諸刃の剣のようなもので、思い込みや先入観が肥大化していくと、過度の不安に襲われてしまったり、他人を誹謗中傷したり差別してしまったりする可能性が出てきます。
特に人種差別や性差別に関しては、親の言動や、学校の歴史教育からの影響による「偏った見方」以外の何ものでもなく、正しく観察すれば、一方が優れており一方は劣っているという根拠は見つかりません。
現代の情報の多くは、事実かどうかは自分で見極めることが難しい。
また、大事な選択をする際に、(データを参照するなど)客観的な見方が出来ないと、自分自身の主観的な思い込みだけで物事を判断してしまい、(たとえば詐欺や霊感商法に引っかかるなど)結果的に誤った選択をしてしまう可能性が高くなります。
たとえば、テレビのCMに出演している医師や大学教授の言葉を鵜呑みにし、宣伝されていた健康食品を購入したところ、大して効かずに散財してしまったという経験をお持ちの方はいらっしゃると思いますが、医師や大学教授が言っているからという理由で、情報の正しさを吟味せずに鵜呑みにしてしまうことには、選択を失敗してしまうというリスクがそれなりに伴うのです。
このことは例えばアマゾンで商品を購入する時に、たくさんの高評価のレビューを読むと、つい良い商品だと思い込んでしまうのも同様です。
かくいう私自身も若い頃は消費生活を満喫していましたが、思い込みによって判断を誤り、買った後で失敗したと思うことはこれまで何度もありました。
さらに情報化社会においては、インターネットのSNSなどを利用して誰もが自由に情報発信できるようになった分、「フェイクニュース」など、その真偽を自分で確かめることが難しい情報が氾濫するようになりました。
週刊誌に掲載される芸能人の私生活に関するゴシップ記事なども、自分で確認することがなかなか出来ないという点では同様であり、インターネットやマスメディアを通じて伝わってくる情報の多くは、事実かどうかは自分で見極めることが難しいのです。
このような現代社会の洪水のような「情報」に対しては、自分できちんと本当かどうか確認することが出来ない限り、すぐに鵜呑みにしたり、信じ込んだりしないことが重要になってきます(新型コロナウイルスやワクチンについての情報もまた然り)。
原因やメカニズムが分かると気持ちが楽になる。
そのように自分自身で確認できない情報に関しては常に一定の距離を保つようにすれば、たとえ日々、マスメディアが作り出す無数の情報にさらされたとしても、そのほとんどが、お金儲けが背景にある、取るに足らない噂話のようなものであると分かります。
ほかにも、交通事故や火事など予期せぬ事態に遭遇した時、なぜこういうことが起きてしまったのかという「結果」に対して「原因」がきちんと分からないと、いろいろと推測してしまいます。
しかし頭の中でぐるぐると考えたことが事実かどうか確認できないため、考えれば考えるほど、分からないことへの苦しさは増すばかりです。
一方でなぜこうなったのかその原因やメカニズムを正しく理解することが出来ると、(知らないほうが良かったという場合もあるかもしれませんが)分からなくてモヤモヤしていた時よりも気持ちが楽になります。
ちなみに以前の記事で、物事は相互の関係性によって生じているという「縁起」についてご説明いたしましたが、何らかの不慮の事故に遭遇してしまった際、冷静になってその「原因」を究明していくと、一つのことに特定出来ず、大抵の場合、様々な要因が重なりあって、結果的に生じてしまったことが分かります。
以上今回は<三毒>のうちの「痴」について述べてみました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪
当ブログ管理人が書いた『ブッダの智恵で、脳ストレスを減らす生き方 最初に苦しみの矢を抜くための仏教入門』
Amazon Kindleで販売中です😊