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コロナ禍での生活にとても生きづらさや苦しみを感じてしまう。そういう時は、ブッダの教えで、こころをラクにする生き方、始めてみませんか?
心の苦しみを減らすために、これまでブッダの重要な教えである「四聖諦」「八正道」「縁起」について述べてきましたが、今回は、「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」という三毒についてです。
ブッダのいう「苦しみ(ドゥッカ)」とは、不満足や痛み、イライラや欲求不満、不快感、不安定、空しさ、さらに永続しない幸福感や享楽など多岐にわたります。
そしてそのような広い意味での心の悩み苦しみを生み出してしまう主な原因としては、仏教で「三毒」と呼ばれている「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)があります。
「貪」とは「貪欲(とんよく)」、「瞋」とは「瞋恚(しんに)」、すなわち怒り、「痴」とは「愚痴(ぐち)」のことで、妄想や無知、愚かさのことをいいます。
この三つを心の悩み苦しみを生み出してしまう原因として捉えることは、お釈迦さまが生きた時代に限らず、現代の資本主義における消費社会やIT化が急速に進む情報社会においても非常に有効であるように思います。
つまり、精神的なストレスによって心が苦しいと感じられたら、なぜ苦しみが生じたのか、その苦しみの理由を「貪・瞋・痴」という視点から考えてみるのです。
そうすると、たいていの場合は三つのうちのどれかに当てはまります。
<三毒>「貪(とん)」とは何か?
今回は一つ目の「貪(とん)」についてです。
「貪(とん)」とは、過剰な欲求に駆られ、必要以上に何かを求めている状態です。
もちろん日々の生活において、食欲や睡眠欲、性欲など生存のための生理的な欲求を無くすことは出来ませんし、承認欲求や自己実現の欲求など、欲自体を無くそうとすることも現実的ではありません。
たとえば、「欲」といっても、自分の大きな夢を実現したい、家族の生活を守るためにもっと収入を増やしたい、社会の役に立つために事業を起こしたいと思うなど、「意欲」を持つということも考えられます。つまり、「欲」を持つこと自体が悪いとは言えないのです。
しかしながら、「貪欲」というように、本当はもう十分なのに、必要以上のものを過度に求めてしまうと、(もしかしたら避けられたかもしれない)様々な問題が生じてきます。
特に資本主義社会においては、お金や食べ物など、生活していくためには十分であるのに、心が満たされずに、「もっと欲しい」と、より多くの商品を欲してしまうことがよくあります。
そして、「わかっちゃいるけどやめられない」といったように、一度欲望の火が点くと、自分では欲望をコントロールすることが難しくなってしまうのです。
欲望をコントロールできないと理想と現実の間に大きなずれが生じてしまう。
たとえば、レストランのごちそうや喫茶店のスイーツをひと口食べてしまうと、あまりの美味しさにやめられなくなり、すでに満腹なのについ食べ過ぎてしまうという経験はよくあると思います。
また、移動の手段のための自家用車やバイクなど、本当は一台あれば事足りるのに、デザインや機能の微妙な違いなど、その魅力に取りつかれると何台も所有したくなります。
ところが、いつまでも満足できずに「あれもこれも」とより多くを欲しがったとしても、欲望にはキリがないため、最後には、自分の思い通りにならない現実が待ち受けています。
つまり、理想と現実の間に大きなずれが生じてしまい、最終的に「なんでも自分のモノにしたい」という気持ちが引き裂かれてしまうのです。
自家用車を何台も所有することに関して言えば、購入するための資金や税金はもちろんのこと、駐車するための場所がもっと必要になってきます。そしてそのような金銭や場所の問題が、自分でコントロール出来る範囲を超えてしまうと、そのことは大きな苦しみになります。
美容のためのダイエットやアンチエイジングに関しても同様です。一度動き出して勢いがついてしまうと、たとえ「結果が出ない」「思い通りにならない」という状態に陥ったとしても、もう少し我慢して続ければ、理想的な容姿を手に入れられると思い込み、執着することを止められず、高価なサプリメントやサービスにお金をさらにつぎ込んでしまいます。
(ちなみにこのあたりのことは、全て自分の自由意思によるものだというわけではなく、資本主義社会のなかで、企業の多くが自社の利益のために、広告の力を利用するなど、あの手この手を使って私たちの欲望を刺激し、「今とは違ったあなたになれる」と必要以上に商品・サービスを購入するよう仕向けてくることも関係しています。)
消費社会のキリがない「欲」のトリセツとは?
先ほども述べましたが、「欲」を持つことが悪いわけではありませんし、「欲」を無くそうとすることは現実的ではありません。
しかしいつまでも満足できないと、そのことが不満や強い怒り、また他人と比較することで妬みなどの感情を生み出してしまい、自分にダメージを与えてしまいます。
また、老いるのが嫌で永遠の若さを求めたり、死ぬのが怖くて不老不死を得たいと思ったりするなど、自然の法則に反する不自然な欲をもってしまうことによって、大きな苦しみが生じてしまいます。
特にお金がたくさんあると、世界の一部の大富豪のように、お金やテクノロジーの力で思うがままに何でも出来ると勘違いしやすくなりますが、老いてやがて死にゆく我が身という存在は「無常」(固定できない・永遠不滅ではない)であり、お金やテクノロジーの力を借りたとしても、どうすることも出来ません。
このように三毒のうちの「貪」とは、「欲」を誤った方向へ肥大化させてしまうことで、理想と現実の間に大きな隔たりが生じてしまい、いつまでも満足できないことだと言えます。
キリがない「欲」の取り扱い方に関しては、程度を心得、ないものねだりを止め、必要以上に欲張らないよう心がけることが肝要であると言えるかもしれません。
たとえば私自身の経験則ではありますが、「自分は欲深いから、欲を抑えることが出来ない。流行りの断捨離やミニマリズムなんてもってのほか」と感じたとしても、食べ物であれお金であれ、ここまでで十分、これだけあれば満ち足りる、ありがたい、それ以上は必要ない、これ以上求めると逆に苦しくなる、と自分で境界線を決めておき、その一線を越えないよう心がけてみると、今の生活に満足しやすくなります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます(^^♪
当ブログ管理人が書いた『ブッダの智恵で、脳ストレスを減らす生き方 最初に苦しみの矢を抜くための仏教入門』
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